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徳川家康が没後最初に埋葬された、静岡市の久能山東照宮と
                       天女伝説が残る風光明媚な三保の松原をご案内します。

重要文化財

静岡市根古屋390

〒422-8011

TEL(054)237-2438


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久能山東照宮
推古天皇の時代(西暦600年頃)久能忠仁が始めて山を切り開き一寺を建て観音菩薩を安置し、
久能寺と称したのが久能山の名の興りといわれその後に永禄十一年(1568年)駿府へ進出した武田信玄公は、
当山が要害の地であることから、山上に城砦を築き久能城としました
元和元年(1616年)家康没後、久能城を廃止し遺言によりここに埋葬され最初の東照宮ました。

途中浜名湖でコーヒーブレーク

国道150号線は「いちごライン」
東名高速道路「静岡IC」で下り、84号線で海岸方向へ、国道150号線に出る。
東へ5kmほど走るり「東照宮」の信号機で山側へ入ると一之鳥居前に出る

鳥居前から駿河湾を見る
両側はお土産屋さん

駐車場
平日はお土産屋さんの駐車場が無料で使えました

最初は石畳の坂道

最初はお寺がありました
推古天皇の時代(西暦600年頃)久能忠仁(ただひと)が始めて山を切り開き一寺を建て観音菩薩を安置し、
補陀落山久能寺と称したとあり、久能山の名称もここから起こったといわれています。
奈良時代の僧行基(ぎょうき)を始め、静岡茶の始祖といわれる聖一(しょういち)国士など、
多くの名僧が往来し、建物も330坊も建ち並んて隆盛をきわめましたが、
嘉禄年間1225年頃)山麓の失火により類焼し衰退したそうです。

表参道の石段は1159
参道は海に面し、ゆるやかな坂道で登るに従って司会が益々開け遠くは御前崎、伊豆半島など
指呼の間に見え1159段も飽きることなく楽しみながら登る事ができます。
表参道石段
一ノ鳥居より1159段の名物石段(約760m)があります。 
この石段は海に面し、
登るに従い駿河湾の 素晴らしい眺望を楽しむことが出来ます。

次は城が出来ました
後に永禄十一年1568年)駿府へ進出した武田信玄公は、当山が要害の地であることから、
久能山を北矢部(現在の清水市)に移し(今の鉄舟寺)、山上に城砦を築き久能城と称しました。
天正10年1582年)武田氏が滅び、駿河一帯が徳川氏の領有することになりました。
その後、家康公は、大御所として駿府城に在城当時
「久能城は駿府の本丸と思う」と言ったほど久能山を重視しました。

一ノ門まで登ると駿河湾を望む風景は素晴らしい見晴らしです
番所
一ノ門の奥に見える建物が門衛所(番所)です
江戸時代 久能山の門を守る与力が居た番所で、ここで登拝者を制限していました。
近年老朽化したため解体復元修理し保存されました。
この種の建物は全国でも少なく貴重な建物です。

その後この山に家康がここに埋葬されました
元和元年1616年)4月17日家康没後、久能城を廃止し遺言によりここに埋葬されました。

境内は国の史跡
面積約65,000平方m(21,000坪)
久能山全域は歴史的価値が高いところから国の史跡に指定されています。

勘介井戸と旧宝物館
この井戸は、戦国時代に山本勘介が掘ったと言われ、今から約400年前の久能山城
を語る貴重な文化財です。 深さ33m石垣積

このあたりからの眺望は素晴らしい

久能山東照宮は国重要文化財
二代将軍秀忠の命により宰相(さいしょう)頼将卿(後の紀州家の祖頼宣卿)が総奉行となり
中井大和守清次が大工棟梁として元和2年5月着工、同13年12月に至る
僅か1年7ケ月と言う短期間に社殿が創建されました。
日光東照宮へは、ここから御霊(みたま)の一部を移したといわれています。
社殿は権現造、総漆塗、極彩色で、彫刻・模様組物(もようくみもの)などは桃山時代の建築様式を残しながら、
江戸時代初期の特徴を良く表しています。このほか、神庫(しんこ)楼門・鼓楼・神楽殿などの建造物と
共に国の重要文化財に指定されています。

社務所
拝観料 大人:350円 子供:150円
奥に楼門が見えます

ロープウェイ「久能山駅」

社務所の前にある水瓶
家康没後200年目の命日に奉納された銘がある
文久元年(1816年四月十七日
従五位下 源朝臣柳原建守

新宝物館

久能山東照宮博物館

入場料:参拝料共通で650円

宝物
家康の遺品、江戸城内に保管されていた歴代将軍の武具類、歴代将軍や大名が寄進した刀剣類、
幕臣や徳川家にゆかりのある人が奉納した書画類など500件(2,000点)が収蔵されています。
東照大権現画像
東照大権現は徳川家康の神号で、幕府の御用絵師である狩野派画家により
束帯姿の画像が描かれ、上部に大僧正天海の賛があります。

家康公18才の初陣の鎧

スペイン製枕時計
家康公の愛用品で、メキシコ総督ドン・
ルイス・デ・ペラスコより贈られたもので
文字盤の下に「1581年マドリッドで、ハンス・デ・エダロが私を作った」という銘が
あり、現存するゼンマイ式機械時計とし
ては日本最古のものだそうです。

国宝 太刀「真恒(さねつね)」
家康が関ヶ原の戦いに着て戦ったと言われる鎧

では東照宮へ参拝しましょう

社務所を過ぎると記念写真用の駕籠があります

社務所を過ぎ石段を上がると楼門があります。

楼門(ろうもん=重要文化財)

           重要文化財 元和(げんな)三年(1617)の建造
 前面に後水尾(ごみずお)天皇御宸筆(ごしんぴつ)の額が掲げてあるので勅額御門(ちょくがくもん)とも称します。

後水尾(ごみずお)天皇御宸筆(ごしんぴつ)
の「東照大権現」扁額(へんがく)

勅額門ともいわれ左右に極彩色の随身を従え後面左右に生彩色の狛犬と獅子が据えてあります。

楼門の両脇には鉄製の天水桶が奉納されています

上から見た楼門

楼門を数ぎると鳥居下です

一ノ鳥居からここまでで1,100段
あと59段

家康の愛した梅

 

神  厩

中に納められている馬の彫刻は、
左甚五郎作と伝えられ、
馬の眼球は 当時貴重なギヤマン
(ガラス)で作ら れている。

手水鉢(ちょうずばち)

元和(げんな)三年1617年=創建された翌年)七月十七日 黒田信濃守直綱 奉納

石段を上がり鳥居をくぐると拝殿下へ出ます

各大名が奉納した唐灯篭や石灯篭が並びます

鼓楼

以前は鐘楼であったが、神仏分離令の後、鐘を太鼓に 取り替えて今の名称に改められました。
太鼓は明治6年旧幕臣小島勝直氏が 奉納したものです。

五重塔跡
明治の神仏分離で取り壊されました
三代将軍家光公の命により建立され、高さ約30Mあったと言われています
五重の塔は輪奐の美を極めたものといわれていますが、明治 6年に取払われ、
現在は在りし日を偲ぶ礎、敷石を元のまま 残すのみです。
 

宝永元年1704年)奉納の灯篭

天保十三年1842年)甲寅四月十七日(家康の命日
丹後守源朝臣 従五位下 永倉昌寿 奉納

 

神  庫

(重要文化財)

神楽殿の東石段上にあって校倉 造りで、
屋根入母屋銅瓦本葺漆塗。

羽目、軒廻り辨柄塗。 縁廻りは全部銅板張である。

神楽殿

(重要文化財)

神饌所の向側にあり、武家奉納の絵馬を 掲げたと伝われ、
記録に拠ると古来神楽は 奏せざる例だと言われています。元和3年建築。

 

日枝神社

御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)です。
 元は、御本地堂と称し東照公の御本地仏とする 
薬師如来像を安置してありましたが、
神仏分離令により 明治3年12月、
これを廃し境内の山王社をここに 移祀した。
訪れたときは50年に一度の修理中でした

唐  門

(重要文化財)

四方唐破風造りで唐戸棟桁下羽目板 など
細部にわたって豊富な彫刻色漆金箔等 を
用いて美観を呈しています。

   

 

御社殿

久能山東照宮の中で最も重要な建物です。
元和三年(1617年)に造営された拝殿、石の間、本殿の3棟からなっており
建物、彫刻など総漆塗、極彩色を施し、桃山時代の技法を取り入れた
江戸時代の代表的な建造物です。

本 殿  (重要文化財)

江戸時代初期の代表的権現造りで 日光東照宮の先駆をなすものです。
屋根は初め檜皮葺でありましたが、寛永 年間に現在の銅瓦葺となりました。
外観 の壮麗と相まって組物・桝肘木等細部 にわったての
彫刻・絵画・色彩金箔を もちいて華麗、目を奪います。
権現造りの 特長は本殿と拝殿の間が一段低い
 石ノ間と呼ばれる部屋でつながっていることです。

本殿内部

本殿内部正面扉の内部が神殿です。
手前階段下の低い処が石の間
50年に一度の漆の塗替え
美しい輝きを取り戻した本殿

廟門(重要文化財)
以前は御宝塔門と称えた廟所に通ずる門です。
本殿の後方西にあります。

御廟所参道

(重要文化財)

本殿の裏手から廟所に向かう参道でです。
廟門から約82mあり、左右に献燈が 
あり昼間でも木が鬱蒼と茂っていて 薄暗い。

参道には諸候が奉納した石垣が
1個の石からくり抜いた手の込んだものもあります。

石灯籠も諸候の奉納したものが並んでいます

駿州久能山 東照宮 御寶前

元和三年丁己季 四月十七日

土佐国主従 四位下侍 忠義

 

神廟(家康公のお墓所)

御本殿の裏、約50mの所ににあり、御遺命により以外を埋葬し、
西向きに建てられています。

神廟は西向きに建てられており、塔の高さは5,5m、外回り8mの石造りです。

帰りも駿河湾の眺望を楽しみながら下りましょう

表参道から参拝する代わりに日本平からロープウェイで東照宮へ行く方法もあります

日本平
この日は天気が良かったのですが富士山は見えませんでした。
この方向にしたの写真のように見えるはずです。
 

天女の羽衣伝説の

三保の松原

日本新三景の一つ三保の松原は、
ご存じ天女の羽衣の松(樹齢650年)でも有名。

晴れていれば、老松林越しに見える富士山の姿も絶景。
江戸時代には三保全体が松林に覆われ、清水湊を挟んだ対岸の江尻宿からは、
海にぽっかり浮かんだ松林が見れたようです。

お土産屋さんでひと休み

綺麗な富士山を見るには冬の晴天を選んで下さい。

歌川広重『東海道五十三次』の「丁子屋」のとろろ汁
静岡市駿河区丸子(駿府匠宿入口付近) とろろ汁定食¥1380

旧東海道金谷坂の石畳
雰囲気は中山道の落合の石畳に似ていました。
JR金谷駅から徒歩5分くらいの場所です。
近くの「菊川坂の石畳」も有名です。


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