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平成22年の京都御所春季一般公開を機に御所参観をしてきました。

 〒602-8611
  京都市上京区京都御苑3番
    宮内庁京都事務所参観係
 
     (電話番号 075-211-1215)

説明文は参観時にいただいた「京都御所一般公開」(宮内庁京都事務所)のパンフレットと現地の説明文を参考にしました。


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京都御所一般公開は春と秋に5日間行なわれます。申込手続は不要で直接御所宜秋門(ぎしゅうもん)へ行けば参観できます。
参観は無料で入門時間は午前9時(開門)から午後3時30分(閉門)までです。
退出は 清所門(せいしょもん)から最終退出時刻は,午後4時15分です。

御所前駐車場

 京都御所は、その古来の内裏の形態を今日に保存している由緒あるもので、現在のものは安政2年(1855年)の造営である
 紫宸殿を始めとし、清涼殿、小御所、御学問所、御常御殿など平安時代以降の建築様式の移りかわりをつぶさに見ることができます。
 

                    京都御所(その1)
                   内裏(皇居)と里内裏

 794年(延暦13年)桓武天皇が遷都された平安京の大内裏の中は土に天皇のお住まいである内裏(だいり=皇居)があった。
 内裏が火災などに遭った祭など、貴族の邸宅仮皇居とされた。
 これは里内裏と呼ばれるが、平安時代の終わり頃になると、再三の火災や相次ぐ戦乱のため元の内裏は使用されなくなり、里内裏が日常の皇居とされるようになった。

 築地塀には12ケ所穴門といわれる門があります

       京都御所の面積
 
築地塀に囲まれた京都御所の面積は約11万uです。

説明文は「京都御所一般公開」(宮内庁京都事務所)のパンフレットと現地の説明文のままとします。

御所入口
宣秋門(ぎしゅうもん)

                    京都御所(その2)
                  現在の京都御所は里内裏

 現在の京都御所は、土御門(つちみかど)東洞院殿(ひがしのとういんどの)といわれた里内裏の一つである。
 光厳(こうごん)天皇が、1331年(元弘(げんこう)元年ここに即位されて以後、明治初めまでの永きにわたり皇居とされた。
 その間には火災による焼失と再建が繰り返され、現在の建物のほとんどは、1855年(安政二年)に再建されたものである。
                    京都御所(その3)
                  現在の京都御所は里内裏のまま

 現京都御所では、紫宸殿、清涼殿などの平安時代の寝殿造りから、御学問所、御常御殿等の室町時代の書院造りへの移り変わる建物の様式の変遷をつぶさに見ることができるほか、源氏物語などの王朝文学の世界を偲ぶことができる。

宣秋門を入り右手に曲がるとすぐ左手に御車寄があります。

御車寄(おくるまよせ)

御車寄(おくるまよせ)
昇殿を許された者が正式に参内する時の玄関である。

御車寄から左進むと門があり過ぎると左手に諸大夫の間があります

 

諸大夫(しょだいぶ)の間

諸大夫(しょだいぶ)の間
正式に参内した者の控の間で、身分に応じて異なる部屋に控えた。
襖の江にちなんで、各の高い順に「虎の間」(岸岱がんたい筆)、「鶴の間」(狩野永岳かのうえいがく筆)、
「桜の間」(原在照はらざいしょう筆)と呼ばれている。

諸大夫の間
 虎の間・ 虎図 (筆者・ 岸岱( がんたい ))
 鶴の間・ 鶴図 (筆者・ 狩野永岳(えいがく) )
 桜の間・ 桜図 (筆者・ 原在照 ( ざいしょう

新御車寄

新御車寄(しんみくるまよせ)

新御車寄(しんみくるまよせ)
1915年(大正四年)の大正天皇の即位礼に際し、建てられたもので、
大正以後の天皇皇后両陛下の玄関である。

新御車寄前を通り正面の回廊にある月華門を右へ曲がります

画面奥の門が「月華門(げっかもん)」です。

曲がると回廊(左)と築地塀(右)の間を左へ曲がると「承明門」と御所外部との門「健礼門」が見えてきます。

建礼門承明門

回廊(かいろう)

回廊の角を過ぎると「承明門」「健礼門」へ出ます。

承明門建礼門

左が承明門、右が建礼門(けんれいもん)

殿」(左)と承明門(中央)と建礼門の位置

正使は御所の正面門「建礼門」から入り「承明門」を通り「殿」向かいました。

建礼門(けんれいもん)の外側から見た御所

建礼門(けんれいもん)

承明門

回廊門から見た殿

殿への見物路は日華門(にっかもん)から入ります

日華門(にっかもん)前広場

日華門の向かいには建春門があります。

建春門

建春門御所の東の入口です

いよいよ紫宸殿入れます

日華門から紫宸殿へ入ります

ここから紫宸殿出口までトコロテン式に押し出されていきます。

紫宸殿前へ

紫宸殿の前庭は広いのですがロープが張ってあります。

紫宸殿(ししんでん)

紫宸殿(ししんでん)
即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿である。
大正天皇・昭和天皇の即位礼もここで行なわれた。
入母屋檜皮葺の高床式宮殿建築である。

                    京都御所の歴史ー1
                  (本来の御所は大火で廃絶)

 現在の京都御所は桓武天皇が築いた本来の平安京の内裏とは全く異なった位置にある。
 現在の京都御所は当時の平安京の東北角に近いところ位置しているのである。
 平安時代中期以降、天皇は平安宮(大内裏=皇居)を出て、京内の邸宅を臨時の内裏することが多くなった。(これを里内裏と呼ぶ)。
 その後には里内裏に居続けで平安宮(大内)は儀式の際にしか使わないという天皇まで現れるようになる。
 そして、鎌倉時代前期の1227年(安貞元年)、再建工事中であった大内は京の大火のあおりを受けて全焼し、そのまま平安京(大内)は廃絶したのである。 
                     (中日新聞「歩いて楽しむ虚との歴史」山田邦和より)

中央に天皇の御座「高御座(たかみくら)」が置かれている。
現在の高御蔵と御帳台は、対象天皇の即位礼に際し、古制に則って造られたものである。
今上陛下の即位礼の際には、東京に宮殿に運ばれ使用された。

京都御所の歴史ー2
 (新しい仮御所を秀吉・家康が拡張)

 鎌倉時代末期、持明院統の光厳(こうげん)天皇によって、土御門(とちみかど)大路の北、東洞院(ひがしのというん)大路の東にあった邸宅が里内裏に定められた。                                           
 この御所は室町時代を通じて歴代天皇の常在所となって「土御門内裏」と称されるようになる。              
 室町時代には一町(約120b)四方という小規模なものであったが、豊臣秀吉や徳川家康の天下統一後に拡張を重ね、現在の虚と御所へと発展する。                                                  
 さらに、後水尾上皇やその中宮の東福門院(徳川和子8まさこ))の居所として仙洞御所や大宮御所が造営され、複数の御所が並立する偉観が造り出されたのである。                                         
                     (中日新聞「歩いて楽しむ虚との歴史」山田邦和より)             

      高御座(たかみくら)
 中央にあるのが高御座で、即位礼の儀式に、天皇の御座(ぎょざ)として用いられるものである。
 現在の高御座は古刹に則って大正天皇即位式の際に造られたものです。
 三層の継檀(つぎだん)からなり、朱塗の高欄を巡らした黒漆塗の浜床の上に、八角の屋形(やかた)があり、屋形の上には、中央に大鳳凰(ほうおう)、周りには小鳳凰を載せ、大小の鏡(かがみ)・玉(ぎょく)・瓔珞(ようらく)・帳(とばり)などで装飾されています。
 屋形の中には、御椅子(ごいし)があり、その左右に、剣璽(けんじ)・国璽(こくじ)を置く案(あん)があります。
 御帳台(みちょうだい)(皇后御座)
 向かって右側は、御帳台で皇后の御座(ぎょざ)として用いられるものです
現在の御帳台も高御座と同じく、大正天皇即位式の際に造られたものです。
 高御座に比べれば、少し小ぶりで屋形の上には、鸞鳥(らんちょう)が載っております。



左近(さこん)の桜

右近の橘(うこんのたちばな)

                      京都御所の歴史ー3
                  (京都御所の周囲の京都御苑について)

 現在の御所の周囲は「京都御苑」という公園になっている。織田信長や秀吉や家康によって御所の周辺には貴族の屋敷が集められ、公家町という特別の空間が形成された。
 明治維新以降後に公家の多くが東京に去ったため、その跡地が市民の憩いの場となった。
                      (中日新聞「歩いて楽しむ虚との歴史」山田邦和より)

ゆっくり見たくても後から押されるので、どんどん前へ進みます。

清涼殿(せいりょうでん)

清涼殿(せいりょうでん)
平安時代、天皇が日常生活の場として使用された御殿で、入母屋松皮葺野寝殿造りである。
四方に庇(ひさし)を持ち、日常の御殿であるため内部は襖などで間仕切りが多くなっている。

              清涼殿(せいりょうでん)つづき
 中央を母屋(もや)といい、ご休息の御帳台が置かれ、手前の厚畳は御座で「昼御座(ひるおしま)」といわれる。
 左側の屏風前の漆喰で塗り固められたところを石灰檀(いしばいだん)といい、地面になぞられて、ここから伊勢神宮等を遥拝された。
 弘庇(ひろひさし)の北側には、「昆明池(こんめいち)の障子(しょうじ)」、南側には「年中行事の障子」が立てられている。
 現在の建物は平安時代のものより小さくなっているが、比較的よく古刹を伝えている。

昆明池(こんめいち)の障子(しょうじ)

左の漢竹(かんちく)

右の呉竹(くれたけ)

清涼殿(せいりょうでん)の漢竹(かんちく)と呉竹(くれたけ)の前を通り

紫宸殿の裏を過ぎて

回廊の下を潜ると宣陽殿前広場へ出ます。

宣陽殿前広場

宣陽殿前広場のおくには先ほど紫宸殿へ入った日華門、その先には売店のテントがが並んでいます。

宣陽殿

宣陽殿には「和舞(やまとまい)」の展示用人形が並んでいます。

              和舞(やまとまい)
  「倭舞」「大和舞」などとも書かれ,ふつう大和地方の風俗歌舞
とされます。
 新嘗祭・大嘗祭の前夜に行われる鎮魂祭(ちんこんさい)や大
嘗祭(だいじょうさい)の豊明節会(とよのあかりのせちえ)、ある
いは神社の祭りの際に奏されました

宣陽殿前広場の一角には春興殿(しゅんこうでん)があります。

春興殿(しゅんこうでん)

春興殿(しゅんこうでん)
1915年(大正四年)、大正天皇の即位礼に際し、神鏡を奉安するために建てられたものである。

 春興殿の前には舞台があり祭礼にさして和舞などが行なわれるようです。

宣陽殿春興殿(しゅんこうでん)の間の門から小御所へ向かいます。

小御所への門

小御所(こごしょ)

               小御所(こごしょ)
 皇太子の元服などの儀式に用いられ、将軍や諸侯と対面される場所などにも使用された。
 寝殿造りながら書院造りへの移行する時期の建築様式とされる。
 1867年(慶応三年)12月9日の王政復古の大号令が発せられた夜、「小御所会議」が、ここで行なわれた。
 1954年(昭和29年)に焼失、1958年(昭和33年)に復元された。

               「五節舞(ごせちまい)」
 天武天皇が創設した舞とされ,天皇が吉野宮で琴を弾いたときに天女が舞い降り,袖を5回ひるがえして舞ったことを起源とするとの伝承があります。
 新嘗祭・大嘗祭の豊明節会(とよのあかりのせちえ)の際に奏されました。
 華やかな装束を着けた4人ないし5人の舞姫が「大歌(おおうた)」とよばれる歌にあわせて舞います。

               「久米舞(くめまい)」
 久米歌(くめうた)にあわせて舞う歌舞。
 久米歌は大和朝廷の武人集団である久米部(くめべ)により伝承された歌謡に由来し,『古事記』『日本書紀』の神武天皇東征の記事に見えています。
 大嘗祭の豊明節会(とよのあかりのせちえ)の際に奏されました。
 刀を帯びて舞う勇壮な歌舞です。

小御所(こごしょ)の前には御池庭欅橋が架かっています

御池庭(おいけにわ)

御池庭(おいけにわ)
池を中心とした回遊式庭園である。前面は洲浜で、その中に舟着への飛石を置いている。
右手に欅橋が架かり、対岸には樹木を配し、苑路を廻りながら様々な景色を楽しみことができる。

御学問所(ごがくもんじょ)

御学問所(ごがくもんじょ)の三つの間の襖絵の説明があります。
 
上段の間  十八学士登瀛州図(じゅうはちがくしとうえいしゅうず)  (筆者・狩野 永岳)
 中段の間  蘭亭ノ図(らんていノず)                    (筆者・岸岱)
 下段の間  岳陽楼図(がくようろうず)                   (筆者・原 在照)

小御所と御学問所の間蹴鞠(けまり)の庭があります。

蹴鞠(けまり)の庭

         蹴鞠(けまり)の庭
 小御所と御学問所の間の小庭をいう。
 貴族たちが、鹿革で作った鞠を地面に落とさないように蹴って遊んだ。

御常御殿への門

御内庭(ごないてい)

               御内庭(ごないてい)
 
曲折した作り水を流して、土橋や石橋を架けた趣向を凝らした庭で、奥に茶室を備えている。

と迎春(御書見の間)

迎春
孝明天皇の御書見の間として使用された。

御涼所
天皇の夏季の納涼所として使用された

御常御殿への門

御常御殿(おつねごてん)

                御常御殿(おつねごてん)
 室町時代以降、天皇が日常のお住まいとして使用された御殿で、内部は15室からなる入母屋桧皮葺の書院造りの建物である。
 この御殿〜北側は、奥向きの御殿といわれている。

御常御殿の襖絵

上段の間       桐竹鳳凰図(きりたけほうおうず)  (筆者・狩野 永岳)
             尭任賢図治図(ぎょうにんけんとちず)  (筆者・狩野 永岳)
中段の間       大禹戒酒防微図(たいうかいしゅぼうびず)  (筆者・鶴沢探真(たんしん) )
下段の間       高宗夢賚良弼図(こうそうむらいりょうひつず) (筆者・座田(さいだ)重就(しげなり) )
御小座敷上の間  和歌(わか)ノ意(い)               (筆者・中島来章(らいしょう) )
御小座敷下の間  和耕作図(わこうさくず)         (筆者・ 塩川文麟(ぶんりん) )
一の間        朗詠(ろうえい)ノ意(い)         (筆者・狩野 永岳)
二の間        四季花鳥図(しきかちょうず)      (筆者・鶴沢 探真)

御三間(おみま)前の庭

 

御三間(おみま)

           御三間(おみま)
七夕や盂蘭盆会(うらぼんえ)などの内向きの行事に使われた

 参観者の中に多くの外国の方が居て盛んにビデオを撮っていました。

                      襖絵の説明
上段の間   朝賀図(ちょうがず)          筆者・住吉弘貫(ひろつら)
中段の間   賀茂祭群参図(かもさいぐんさんず) 筆者・駒井孝礼(こうれい)
下段の間   駒引図(こまびきず)          筆者・岸誠(がんせい)

清所門(せいしょもん)への庭の桜

御所の桜を楽しめ参観者は大喜びでした。

帰りは清所門(せいしょもん)からです。

清所門(せいしょもん)から退出

清所門(せいしょもん)

参観者は皆満足そうに駐車場へ向かいました。

京都は日本の故郷です。


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