フランスの香りがする街 ヌメア
日本からもっとも近いフランス領は、南太平洋にあるのニューカレドニアです。
その首都ヌメアは、南太平洋のフレンチリゾートです。
白壁の家屋が立ち並び、青い海が眩しい光をはなっている都市。
南フランスにきたような錯覚になります。
でも、ここは地中海ではなく南太平洋です。

街の中心はココティエ広場
ムメアの街ショッピングはココティエ広場からはじめましょう。
碁盤の目のように整然とした道路が街の中心は走っています。
その中心がココティエ広場です。
ココティエ広場はヌメア市街地の中央に位置している長方形の広場です。

ヨーロッパ調の美しい公園
目印はキオスクと呼ばれる音楽堂です。
時にはイベントの舞台として使われるそうです。
海側(西側)にはセレスト(天女)の像が置かれた噴水と
ヌメア市観光案内所、カフェテリア、そして植物園、
有料トイレなどがあります。
グループで来たときの集合場所にいいでしょう。

ココティエとは
ココヤシの木のことです。
広場の周りには市役所、中央郵便局、博物館などの公共施設とビジネス街が取り囲み、
ブティック、お土産屋や免税店、レストランやカフェがなどが軒を連ねるショッピング街も近く
観光客が散策中に休憩するのにもよい場所です。

細長いフランスパンのような形をした本島のグランドテール島にあるリゾート地、ヌメア。
フランス本国からも「地球の裏側にあるもうひとつのパリ」と呼ばれるように、
この街には南太平洋の他の島では見つけられないお洒落な雰囲気が漂っています。

街の中は、レモンイエロー、ミントグリーン、サーモンピンクなど様々なパステルカラーの住宅やお店が点在し、本当にカラフル。
さらに、これらの色彩に、原色の花々と緑の木々、真っ青な海がアクセントを加えています。
南太平洋に浮かぶプチ・パリ、ヌメアなら、優雅な旅のひとときが過ごせることでしょう。

現地の交通機関利用法

安くて便利なバス

バスとバスターミナル
 

 これがバスです。そして奥にある建物がバスターミナルです。
 ちょっと?古いバスで乗り心地も良くなくエアコンもありません。
 しかし、近代的なバスで人工的に空調された車内にいるよりもニューカレドニアの空気を浴びながら海岸沿いを走るバスの方が気持ちいいと思います。


 

 こちらは長距離用のバスです。
路線バスと同じバスターミナルから発着します。
 このバスで2時間3時間と揺られるには少々体力を必要とするかもしれません。

頑張って!

料金: 距離に関係なく一律料金で
大人は、平日120CFP、土日は140CFP
子供は、全日80CFP(土日も同じ料金です)
料金の払方: 乗車したときに運転手さんに直接手渡します。
5000CFP以上の紙幣の場合はお釣り困ってしまう恐れがありますので、小銭を用意された方が安心です。
時刻表: ありません。
朝6時から夕方6時までの間、何回もホテルとヌメアの街を巡回しているのです。
ですから、バス停で待っていてもすぐに来る場合としばらく待つ場合があります。
バス停: 青色地に白で「AUTO BUS ARRET」と書いてあるほかに、バスの絵が書いてある物がバス停です。
でも、バスの運転手さんの方を見て手を上げればバス停以外でも停まってくれます。
降車方法: 窓枠にあるブザーを降りたい停留所の手前で押します。
車内アナウンスはありませんので外の景色を見てどこを走っているのか判断するしかありませんが、バスはゆっくりと走っているので降りたい停留所が近づいてからブザーを押せば充分に間に合います。
運行時間: 朝6時から夕方6時までです。
始発と終点: 始発も終点もヌメアの中心部にあるバスターミナルなのです。
バスターミナルを出たバスは、ホテルの方を一回りしたあとバスターミナルに帰っていく、いわゆる巡回型なのです。
ホテルからヌメアに行くバス: どのバスに乗ってもヌメアの中心部にあるバスターミナルに向かいますので、来たバスに乗って大丈夫です。
ヌメアからホテルに行くバス: アンスバタ海岸のホテルに宿泊しているなら3番か6番のバスに乗車してください。
ノボテルというホテルかシトロン湾のホテルに宿泊しているなら6番のバスに乗車してください。
番号札はフロントガラスの隅に掲示されてるだけで遠くからはよく見えません。日本のバスのような電光掲示式とは無縁ですので注意してください。
迷わない乗車方法: ヌメアの街に行くときはバスターミナルで降りる。
ヌメアの街からホテルに帰るときはバスターミナルで乗る。
バスターミナルはヌメアの中心部にあり、ココティエ広場や朝市もすぐ近くにあるためとても便利です。
帰りのバス停を探しているよりも、バスターミナルを目指した方が迷いません。
   

セント・ジョセフ大聖堂内は撮影はひかえましょう
ココティエ広場を丘の方へ坂を上がると教会があります1894年に完成した。この教会には二つの時計台があり、
毎日正午に荘厳な鐘の音を町中に伝えてくれます。

内部は素晴らしいステンドグラスがあり、604本ものパイプを使ったパイプオルガンも壮観です。
是非、内部も見学してください。撮影は許可をとればOKだそうです。

セントジョセフ大聖堂

大聖堂の内部

1894年6月16日に完成したニューカレドニアのカトリックの総本山といえる建築物で高さ25mもある2つの鐘塔は、ヌメアのシンボル的存在です。

 中に入ってすぐのところにある貝の形の聖水盤は近海でとれた天然の巨大シャコガイで、つくりものではありません。

 内部は横12m、奥行き56mあり、正面ファサードは高さ18m。内部は南国らしく明るい光が差し込んでいます。

宗教施設ですから、写真はお祈りをしている人がいる場合にはひかえた方がよいでしょう。

教会の裏手の丘
時計台越しに広がる町並みと、沢山のクルーザーやヨットが停泊するモーゼル湾の眺めは素晴らしい絵葉書のようです。

街のもう一つの目印

ヌメア市博物館
公園の北側にあり、博物館前はホテルのシャトルバスや
市バスの発着場になっているので重要なポイントです。

入場無料
ココティエ広場に面したヌメア博物館はヌメアの旧市庁舎で、ヌメアの歴史を解説する展示品が並べられています。

常設展示として19世紀末のヌメアの街並を再現した模型があり、時には特別展示も行われます。

ニューカレドニア博物館

ニューカレドニア博物館

ココティエ広場から南へ600mほどにあります。

 ニューカレドニアの歴史や、主にメラネシア系の人々の文化・芸術を知ることのできる
博物館です。

 バヌアツやパプア・ニューギニアなど、他の南太平洋の彫刻も集めれられています。

 ニューカレドニア博物館は、現地で「ヌメア博物館」と呼ばれることが多いために、
日本のガイドブックでもしばしば、「ヌメア博物館」という名称で紹介されていることがあります。

朝市(ーマルシェー)ニューカレドニア博物館から海側(東)へ200mにあります。

石鹸やエッセンスを売る店

新鮮な野菜や果物

朝市での演奏

 マルシェと呼ばれるヌメアの朝市は、ニューカレドニアでとれる野菜や果物、
魚介類が新鮮な状態で売られています。

 カフェやパン屋、お惣菜屋さんなどもあって、朝食ついでに行くのも楽しいでしょう。
一番活気があるのは週末です。地元の人々も買出しに訪れます。

 カフェテリアの周りで無料の音楽演奏やアトラクションが行われ、
 お土産やさんが立ち並ぶのもやはり土曜・日曜・祝日になります。
 毎日5時頃から10時ごろまでやっているので、ホテルでゆっくりしてから
出かけることもできます。
(毎月第3日曜日、12/25と1/1は例外的にやっていません)

 行き方は、1番バス(グリーンライン)で、MUSEE DE LA VILLE、もしくはMARCHEで
降り、港に向かって歩きます。
 海に向かって斜め右に見える青い六角形の屋根の建物が目印です。

車海老に似たエビは少々高く1kg1750CFP(約1800円)

海洋博物館 ココティエ広場から西へ1kmくらいの海岸にあります。

 モーゼル湾に面したヌー島へと向かう道沿いにある比較的新しい博物館。

 海と人とのかかわりや歴史が、船の模型や漂流物などとともに展示してあります。

 1番バス(グリーンライン)のPORT AUTONOME / MUSEE MARITIMEで下車すれば、すぐ目の前です。

 反対側にハンディクラフトセンターもあります。

海洋博物館

スパッゲティはまずい
どこかのHPに「ユーカレドニアのスパは不味い!」とありましたが、そのとおり!
しかしソースは素晴らしく美味しい!

ビールはハイネケンを注文していましたが、地元のビール「ナンバーワン」も美味しい!
パンは美味しい!
「ああ、やっぱりフランスなんだ。」と思わせるほどの量のフランスパン。

我々の感覚からすれば米が山積みになっているのと同じことでしょうが異国の日常が新発見をもたらしてくれるのもスーパーの魅力です。

パンを買っても袋などはくれません。裸のまま持って帰るのです。

  フランス領らしく朝食はカフェオレ
 カフェオレ 300CFP(約300円) クロワッサン 180CFP(約200円) と日本と変わらない値段でした。

大らかな中央郵便局
正確な煙草屋さん

ニューカレドニアは綺麗な切手を発行して観光資源としていますが、今はどうでしょうか?

以前は外貨獲得のため綺麗な切手が発行されていましたが
今では見つかりませんでした。

綺麗な切手で日本へハガキを!
と思い、綺麗な切手を求めココティエ広場北西かどにある中央郵便局へ行きました。
日本へはハガキ100cf(約100円)封書135cfですが、
郵便局員は135CFPを要求!
ハガキに普通の切手を貼ってスタンプを押して終り!

綺麗な切手を探して
そのためショッピングの途中煙草屋を探して綺麗な切手を求めることにしました

地元に人に煙草屋さんのある場所を聞く事にしました。
その結果 ココティエ広場南東かどより2ブロック南の映画館横にあることが分かりました。

映画館が分からず
日本のイメージの映画館らしきものはいくら探しても見つかりませんでしたが
目的の煙草屋さんは見つかりました。

中央郵便局より煙草屋さんが正解
しかし綺麗な観光用切手はありませんでした。
そして日本までのハガキの料金は100CFPだと教えてくれました。

タバコ屋さんの帰りに偶然見つけた
日本人経営のお店

場所はココティエ広場の東の道「セバスト・ポール通り」を南へ約20〜30mの東側

フランス人はワインを水代わりにして飲んでいるとか、ビールはほとんど飲まないなどとよく言われますが、
ワインは水代わりに飲めるほど安く、味も結構いけるのです。

ニューカレドニアでフランスの香りを送る店の紹介
La Bonne Bouche

「ラ ボン ブーシュ」の意味は口当たりが良いとか、後味が良いというフランス語だそうです。

経営者はMORI Susumuさん

マスターのSusumu.MORIさん(シルバーと同じ苗字です)
シルバーのお勧めはナンバーワンビールのティーシャツ

合言葉とプレゼント
マスターのmoriさんにシルバーの散歩道を見たよ!」言って下されば
ニューカレドニア産のナンバーワンビール33ml.を、お買い物されたお客さまへプレゼントして下さるそうです
是非、お立ち寄りください。

お店のパソコンは日本語版ウインドウズですので日本語でOKです。
E−Mail:creationv@canl.nc
旅行される時は是非、mailを送って見てください。

検討しました結果、「シルバーの散歩道を見たよ!」の合言葉でニューカレドニア産のビール
ナンバーワン33ml.を、お買い物されたお客さまへプレゼントさせていただきたいと思います。
もし、宜しければHPに追加していただけますでしょうか、

ニューカレドニアで人気のナンバーワン・ビールのティーシャツで900CFP
パッケージもシャレていて値段も手ごろ、お土産に最高!
ウイスキーボンボンのチョコはいいお土産になりました。
1箱 1400CFPは安いと思いました。

 

何故か?帰りのトントゥータ国際空港の免税店より安い

コーヒー豆を芯にしたチョコ(これが美味しい!)
930CFP(免税店では1600CFP

炒ったコーヒー豆にチョコがまぶしてあります。
一番美味しかった

同行者も空港の免税店が安いと思い市内では買わず、空港店で全員棒立ち!
他の品物も同じく高いのではと思い残念無念

ラ ボン ブーシュ近くのお土産屋さん
CARTE BANCAIRE

アニマル携帯ケースは2,100CPF

ちょっと変わった
盗難防止タグ

アニマルの携帯ケース
にはちょっと変わった
盗難防止タグが付いていました。

タグのコストが安いのか品物に付けたまま、壁にあるプレートに近づけ記録を消去して包装してくれました。

ココティエ広場噴水南あたりにある
ティシャツ屋さん

うしろ

ニューカレドニアの文字が気に入りました。

こんなティーシャツを13枚ほど買いました。
平均1,200CPF

その隣りでタオルケットを
ニューカレドノアの地図が気に入りました。

地厚く大きなバスタオルがいいお土産でした。(980cpf

アルファー

世界的に有名なオウムガイをモデルにした
ノーチラス・チョコ

アルファーでは850CFP
空港の免税店で1400CFP

日本とニューカレドニアの関係

                           日本人の少年に出会う
 買い物の途中で日本人の子供と出会いましたので道を尋ねたら日本語が通じない、名前を聞いたら「スズキ」と言いました。なぜ日本人に似た子供がいるのか分かりませんでしたが、理由が分かりました。
                                  <日系移民と戦争の悲劇>
 
ニッケル埋蔵量が世界一ともいわれるニューカレドニアは、19世末から世界的なニッケル需要とともに大きく発展しました。
 ニッケル鉱石を掘り出すため、国内労働者だけでは手がたりなくなったときにやってきたのは、主に九州・沖縄方面から移住した日系移民たちです。
 1892〜1914年の13年間に約5.600人が日本から移住して来ました。
 本島東海岸の町チオには、当時住民1800人のうち日本人がなんと1300人ほどいたそうです。
 第2次世界大戦が起こるまでの間に、およそ8000人の日本人男性がニューカレドニアのニッケル鉱山で働き、中には現地の女性と結婚して現地社会に定着した人もいました。
 しかし、日本がアメリカの真珠湾を攻撃してから状況が一変します。
 フランスおよびニューカレドニアは連合国側だったため、日本国籍の人々は敵国人として刑務所に収容され、
 オーストラリアのキャンプを経由して、戦後に日本へ強制送還されました。
 彼らが所有していた財産のほとんどが没収されたほか、家族とも生き別れになったそうです。
 しかし、今日、ニューカレドニア人で日本人の苗字を持っている人は珍しくなく、そんな人々のほとんどがこのような日系移民労働者の子孫です。
        投網で魚を獲る
 現地では「投網」で魚を獲りますが、これは移住してきた日本人が現地の人に教えた漁法で今でも行なわれているそうです。

ヌメアは島一番の大きな町です。
フランス人とネラネシア系住民と半々です。

ヌメア郊外のポイントを紹介します。

ヌメア水族館ココティエ広場から南へ約15kmの郊外にあります。
 アンスバータのホテル、ノボテル・ル・サーフ・ヌメアに隣接しています。
太陽自然光を取り入れて、ラグーン内の海水を循環ポンプで水槽に送る開放式の水族館だそうです。
 正真正銘のニューカレドニア海が水槽のなかで観察できます。
 また、この水族館は、オオベソオウムガイと蛍光作用のあるサンゴを人工飼育・展示していることで、世界的に有名です。
市内、またはアンスバータから1番のミニバスで。

「活きる化石」
オオベソオウムガイ

ホテル・ノボテル・ヌメア内     
カフェ・バー 地図にはサーフ・ヌメアとかノボルテ・サーフヌメアhotelとあります。

落ち着いた雰囲気の
ノボテル・ヌメア

 アンスバータの3つ星ホテル、ノボテル・ヌメアの1階ロビー・バーは壁面が展示用ガラスケース。

 まるで一種の民族博物館のように彫刻や伝統的儀式に用いる道具、古代の土器や、植民地時代の写真などの歴史的展示物が置かれています。

 ソファーでコーヒやカクテルを飲みな「がら、美しいオブジェをゆったりと座って眺めることができます。

  いつでも見学可能ですが、深夜12時から昼間の12時までは、カフェ・バーは営業してません。

 昼間なら水族館へ行くついでに、夜間ならホテル・ノボテル内カジノへ行くついでに立ち寄るとよいでしょう。

 我々は落ち着いた雰囲気の中、落ち着かない客でした。

ル・メリディアン・ヌメア内 〜カジノにチャレンジ〜 1番のグリーン・バスの終点「メリディアンhotel」
◆カジノに行く際に注意すること
18歳以上であれば誰でも遊べるカジノ。

服装は襟付きシャツにスラックス程度で大丈夫ですが、
初めて入場する際にはパスポートの提示が必要となります。
(スッテンテンになった時のカジノ側の用心です)

我々はパシュフィックhotelでしたので散歩がてらに歩いていきました。
2時間ほど遊んで数千円の負け!めでたしメデタシでした。

また、このホテル以外に、ノボテル・ル・サーフというホテル内にもカジノがあります。

一攫千金にチャレンジ!
●ヌメア郊外● リビエール・ブルー州立公園
 15,900haにおよぶ広大な鳥獣保護地区の中にあり、済んだ流れの川と鬱蒼とした森、赤土と
ヤテ湖の荒涼とした大地など変化に富んだ秘境エリア。

 樹齢2000年のカオリの巨木、珍しい食虫植物などが見られ、
国鳥カグーも野生状態で生息しています。

キャンプやカヌーを楽しむアウトドアには最適のフィールドで、週末は多くの人たちで賑わいます。

行きかたは、ヌメアから2号線でヤテ方面へ。
ガイド付き日帰りツアーに参加するか、4WDなどのレンタカーで。

リビエール・ブルー公園

ヌメア自然公園

ヌメア自然公園

正式名称は「ミッシェル・コルバッソン森林公園」。
 ヌメア市内から車で15分ほどの、市街と青いラグーン、本島の山脈をぐるりと見渡せる丘の
敷地内にあります。
 動物園と植物園の二つに分かれており、動物園では珍しい鳥類、植物園では南国特有の
植物が中心です。
 長いフランボワイヤンの並木道があり、花の季節(11月〜2月)はとてもきれいです。
 行きかたは、プチトレインなら森林公園で下車。
 市内からタクシーでは15分。
 バスだと9番バス(ホワイトライン)の終点下車後、徒歩15分かかるので、
タクシーかプチトレインを利用する方がいいと思います。
アメデ灯台    
〜 ヌメアからの日帰りツアー 〜
アメデ島のシンボル、白亜の灯台
アメデ島にそびえる高さ56mの白亜の灯台。

アメデ島は、モーゼル湾からクルーザーで約30分ほどの、
ヌメアの南22kmに浮かぶ一周15分ほどの小さな島です。

グラスボトムボートや、シュノーケリングが楽しめます。

この島への定期便はないため、
来島者は日帰りツアーでやってきます。

  詳しくは次の頁で紹介します

 イタリア人建築家、レンゾ・ピアノが設計した、ユニークな外観が目を引く、
総合的なメラネシア文化センター。
 ティナ・ゴルフ場に隣接しており、ヌメア中心部およびアンスバータ地区から、車で15分ほど。
 ここには、カナック(ニューカレドニアに住むメラネシア系の人々)の文化と歴史をテーマとした現代アートや、歴史的展示物、視聴覚資料室、レクチャールーム、野外劇場などがあり、現代芸術作品の展示に重点がおかれています。
 行きかたは、アンスバータからタクシーで約15分。(約1500cpfでした)
 または、ヌメア市内から2番バスで。

次ぎは「チバウ文化センター」です。

   

チバウ文化センター Centre Cultrel Tjibaou
ニューカレドニアでもっとも大きな総合文化施設

イタリア人建築家、レンゾ・ピアノが設計した、ユニークな外観が目を引く、総合的なメラネシア文化センター。
ティナ・ゴルフ場に隣接しており、ヌメア中心部およびアンスバータ地区から、車で15分ほど。
ここには、カナック(ニューカレドニアに住むメラネシア系の人々)の文化と歴史をテーマとした現代アートや、
歴史的展示物、視聴覚資料室、レクチャールーム、野外劇場などがあり、現代芸術作品の展示に重点がおかれています。

 

行きかたは、アンスバータからタクシーで約15分。または、ヌメア市内から2番バスで。

チバウ文化センアーへはタクシーが便利です。
ヌメアからでしたら1千数百円で行きます。

1998年に完成したチバウ文化センターが注目を浴びています

チバウ文化センターの建設は、故ミッテラン仏大統領によって提唱されました。
フランスという一つの国の中に、様々な文化が独自性を維持しつつ、
未来へ向けて発展していく―そんな理想がジャンマリー・チバウ文化センターの建設に託されています。

チバウ文化センターの入場券(500CPF)

南太平洋でもっともユニークな文化センター

 1998年5月4日にフランス首相も出席してオープニングイベントが行われ、同年6月16日に一般公開をはじめました。
 南太平洋の伝統文化を現代に伝えることを目的としています。
   設計を担当したのは、関西新空港も手がけた
世界的建築家レンゾ・ピアノ。
 現代的な素材を大胆に用いつつ、メラネシア人の伝統家屋
(カーズ)を連想させずにはおかないユニークな形態を持つ、
伝統とテクノロジーとが手をたずさえた建築物です。

超モダンな設計
奇抜な現代アート

庭園と自然空間が演出する展示方法

 南太平洋の最先端のアート作品を収集するほか、企画展も行われ、音楽とイメージを組み合わせ短い映画も常時上映され、館内のオーディオビジュアルな展示に工夫が凝らされています。
 さらに一歩進んだ試みは、時間と空間をひとつにする庭園です。
 南太平洋という広い舞台で展開した人類の歴史の悠久さが肌で伝わるようにという配慮です。
 南洋植物に囲まれた“カナックの道”が皆さんを案内します。
 庭園内には野外劇場もあって、イベントの日にはセンター全体が大きな祝祭空間となります。

チバウ文化センター施設概要
・建設場所:TINA 敷地面積: 8ヘクタール
・ 着工: 1995年3月   完成: 1998年5月
・ 常設および臨時展示スペース、ビデオシアター、視聴覚資料室、館内ホール(400席)、野外劇場、カフェテリア、ミュージアムショップ

休館日:月曜日
開館時間 : 10時から18時
入場料 : 500パシフィックフラン、庭園内は無料。
行き方:ヌメア市内、およびアンスバータからタクシーで
           15分ほど。
           路線バスをつかう場合には、ヌメア中心街から
           5番でバスで。

それぞれのカーズには名前がついています

建設時のコンクール応募作品の展示もあります

大きなモールは全て木で構成されています。

カフェテリア

美味しいコーヒが200CPF

ニューカレドニアの歴史の概略

<先史時代>ニューカレドニアは氷河期以前、大陸と地続きで、氷河期が終わるとともに海水面が上昇し、
 やがて海に孤立したグランドテール島が誕生しました(約1万年前)。
 考古学的にもっとも古い人類の痕跡は、土塁、ペトログリフ(岩石に刻まれた模様)、
ラピタ式土器(紀元前2000年)などに見られます。

何処にも落書きマニアは居るようです。

ペトログリフ.JPG (50528 バイト)

パイータ村の川のほとりにみつけた
ペトログリフ

紀元前5千年以上前に、民族が移り住んでいたことの証とされる
ペトログリフ(岩石彫刻の文様)も、何のためにつくられたものなのか、まったく分かっていません。

 古代人の文字か?象徴か?それともいたずらがきか?
とにかく、現在のメラネシア人たちとは違った民族だったようです。

ペトログリフ

<植民地化以前>
現在のメラネシア系の人々は、東南アジア方面から帆付きカヌー(ピローグ)に乗って島伝いに移住してきたようです。
各部落ごとに自足自給経済が営まれ、やがて西方からポリネシア人も移住しました。
そのため、言語も多様で少なくとも27の方言があり、地域によって別の国の言葉のように異なります。
ただし、カーズ(植物の葉で葺いた屋根の家)に生活し、ヤムイモ、タロイモを主食とする点では共通しています。

<西洋人による発見>

1774年、イギリス人クックが西洋人として初めてニューカレドニアを発見します。

 そもそもニューカレドニアという名前は、
クックがグランドテール島の山並みを見て、
イギリス北部のスコットランド地方の風景に似て
いるという印象を持ったことに由来しています。

スコットランドのローマ時代の名はカレドニアでした

イル・デ・パン(松の島)もクックが残した名前です。

次に訪れたのがルイ十六世の命を受けた
フランス人、ラ・ペルーズ。

そして、多くのカトリック宣教師がニューカレドニアを訪れました。
1853年、ナポレオンV世によってニューカレドニアはフランス領であると宣言され、
同年9月24日にフェヴリエ・デ・ポワント海軍大将が本島北部の
バラードに3色旗を立てます。
このことを記念して、現在9月24日はニューカレドニアの
ナショナル・ディになっています。

<政治犯の流刑地>
フランスの植民地になったニューカレドニアには、本国の政治犯流刑者が多数送られてきました。
その頃、フランスからは4ヶ月もかかる船旅でようやくたどり着くことができたので、
ニューカレドニアは世界の果てと思われたことでしょう。
1871年、パリコミューンの内乱が勃発した時は、およそ4000人が運ばれ、
ほとんどがイル・デ・パンに留めおかれました。
こうして、19世紀後半に、のべ3万人(30,300)ほどの人が、
国外追放および流刑者としてニューカレドニアに送還されたということです。
1887年にこの処罰制度は廃止され、以後はありません。
(右写真はイル・デ・パンに残る流刑者収容所)

チバウ文化センターのお土産ショップ

ニューカレドニアはのんびり
館内の売店で民族首飾りを買いました。
カードで買ったのですが、通信速度が遅く5分ほど掛かりました。

2200CPF

1800CPF

       <ニユーカレドニアの地位はフランス海外領土>
 1946年、ニューカレドニアは植民地的な地位から、フランス海外領土として認められます。
 その結果、人種に関係なく住民は、本国と同等のフランス国籍を持つことになりました。
 現在のニューカレドニアは、ニッケル鉱業と観光業、南太平洋という特殊な土地柄に生かして、フランス共和国の一部でありながら、同時に特定の領域に関しては自治権を保持する新たな地位へと発展しています。

次はカタマラン型ヨットでサンセット・クルーズです

   

サンセットクルーズ
少々雲がありますが綺麗な夕日が雲の間から覗いていました。

船体はシャレたカタマラン型クルーザー。
CNCヨットハーバーから出航してベシュール湾を出てカナール島付近でサンセットを見る予定です。

ヨットハーバーにはヨットがぎっしり。我々の乗る船体も見えてきました。
 ディナークルーズ
水平線に沈む海に映える夕日と、日が沈むと満天の星空が広がり、南十字星も見ることが出来ます。
参加料金 10,400cfp(約11,000円)

同型のカタマラン型クルーザー

参加者は全員で10名

結構大きな船体

双胴の上はネットが張ってあります。

ネットの下は海
高速で気持ちいい風を切りながら沖合いへ向かいます。

夕日が沈むのはほんの一瞬でした。

夕日が沈むと闇が近づきます。

静かな海を満喫しながらワインを傾けるディナー。
満足でした。

船内のレストランとキッチン

操舵盤付近

トイレへの降り口

カタマラン船内のトイレ
細い両側の船体の片方にあります。
トイレは用をたすと手動ポンプで水を流します。
楽しいディナーも終りヨットハーバーへ

明日はいよいよ帰国です。

さよならNautile Caledonier(ニューカレドニアNewCaledonia)

   

あっという間の3日間
天国に一番近い島ニューカレドニアは何もない青い空と海とのんびりした時間だけがたっぷりある島でした。

帰国の日のトントゥータ国際空港は雨でした。
シャレたエールフランスのエアカレンの機体は出発を控え静かに我々を待っていてくれました。

 免税店
出国手続きを終え搭乗までの間はショッピング

免税店横の待合室風景

エールフランスの荷物タグ

エールフランスの新しい風「エヤーカレン」
雨の中、真っ黒に日焼けした乗客が次々と登場します。
ニューカレドニアらしい搭乗風景でした。

念入りに焼いた小麦色の肌がお土産です。

記念撮影が終わるとやっと機内へ消えました。

上空は上天気。日本まで約時間ののんびりタイム。

エヤカレンにはハイビスカスの花が似合います

機体が新しく、全席にTVが付いていますが、サーバー型でないので映画は途中から始まります。
今年イタリア・セストリエール行きのアリタリア航空はサーバー型ですので、自分の見たい時に蓄積するので
映画などは各席で何時からでも最初から見ることが出来ます。

 

チバウ文化センターでの民族アクセサリー

お世話になった
アルファーインターナショナル

こうしてHPを整理を終えた時、ニューカレドニアで楽しく過ごせたのもALPHA INTERNATIOALのスタッフのおかげと感謝しています。
現地での何気ないアドバイスを我々は当然のように聞き流していましたが、誠に申し訳なかった思っています。

アルファさんが到着すると下さる。   アルファサロンにあります。
両誌とも現地で細かいところまで詠んでください。
我々は帰国してから細かい所まで目を通して残念がっています。

「ドラゴン・ホテル」はどこ?
宿泊先のルパシュフィック・ホテルで「両替は日中でもドラゴンホテルの横にあるアルファの事務所で出来ますよ」と
教えて下さったので我々は早速探していきました。

教えられた付近を捜しても分からないので、たまたま日本人が居る事務所がありましたので「ドラゴンホテルは何処ですか?」と
尋ねると「すぐ隣りですよ」と教えてくださいました。

隣りを探してもそれらしき「ドラゴン(頭の中にはDragonの文字が)ホテル」はありません数百メートル先まで行きましたが分かりません。
もう一度先ほどのにほんじんの居た事務所へ行き尋ねると「ドラゴン・ホテル」は「ル・ラゴン(Le・Lagon)・ホテル」!
そして日本人が居ると思って尋ねていたところが「アルファ・サロン」と言うアルファインターナショナルのオフイスでした。

アルファ・スタッフは控え目
新婚さんを主流にガイドをしてきた歴史の精でしょうか我々年配者には少々物足りなさを感じました。
今回も年配者が大半を占め、若い人も仲間同士が多く新婚さんはいなかったように思います。

たくさんの拠点を持つアルファ
こうして知らない内にお世話になっていたスタッフの皆さんも積極的に「アルファ」を宣伝されないので
帰国間際まで便利さに気付きませんでした。

空港免税店より安いアルファ
私は帰国直前に「ノーチラスチョコ850CFP」20個と「コーヒー豆チョコ980CFP」20個を
アルファに注文してホテルまで届けてもらいました。
他の人は空港の免税店が安いと思いほとんど買いませんでした。
しかし、空港の免税店では1,400CFP1,600CFPでした。

23,400CFPの得
私の場合荷物のパッキングが面倒なのでホテルでパッキングしようと早めに手配したから
23,400CFP安く買うことが出来ました。
アルファ・サロンのほうが「空港の免税店より安い!」
お出かけの方は是非参考にして下さい。

世界的に有名なオウムガイをモデルにした
ノーチラス・チョコ

アルファーでは850CFP
空港の免税店で1400CFP

炒ったコーヒー豆を心にチョコを巻いたコーヒーが自慢のニューカレドニアチョコ

あっという間の5日間
食事なしで65,000円はお値打ちでした。
食事なしはかえっていろんなお店を探して食べるので楽しさが倍増しました。

また、行くぞ!  

        

このHPはmoriy@シルバーが旅行した当時の記録です。
その後、現地の状況などが変わっています。
旅行の参考にしてくださる時は他の方法でも確認して、お出かけ下さい。