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グアムはミクロネシア最大の島で、西太平洋にあるマリアナ諸島の南端にあり、日本からは飛行機でわずか
3時間半、日本では大人気のリゾートアイランド南国の楽園グアム観光記です。

1997.6

出発

グアムと日本との時差はプラス1時間です。

1997年6月22日出発、太平洋上の天気は快晴 入道雲がモクモクと湧き上がっていました

               1521年にマゼランが発見
  1521年に探検家マゼランが世界一周旅行の途中で マリアナ諸島を発見し、1565年にはスペインが 植民地として統治し始めまた。

            14世紀は西洋文明が世界を支配時代
 日本ではポルトガル人が種子島(たねがしま)にながれつき、鉄砲が伝来(1543年)より20年前です。 現地の人が居たのにもかかわらっず、西洋では新島発見として発見した国のものとしました。

               横井ケープ
 横井庄一さん元日本兵で太平洋戦争に出征しグアム島で太平洋戦争終結を迎えたが、日本軍の「生きて虜囚の辱めを受けるな」の軍律に従い、島に28年間潜み地元の猟師に発見され、無事日本へ帰国した愛知県海部郡富田村(現在の名古屋市中川区富田町)出身が潜んでいた穴も島の南半の山中のタロフオフオ川の辺にあります。
                        米軍基地
 北の方に「アンダーソン空軍基地」と南方のオテロ岬に「アブラ海軍基地」があり立ち入り禁止になっています。

タモンはグアムの中心地でホテル、レストラン、ショップなどが立ち並ぶエリア

グアム空港へ到着
空港へ着くと南国特融のさわやかな熱気が迎えてくれます

通貨はアメリカドル
紙幣は1、5、10、20、100ドルが一番流通しています。
左端が1ドル、右端が1セント

ホテル到着

宿泊はホリデープラザホテル

タモン湾を中心に超高級ホテル・ヒルトンなどが見えます

                   最初スペイン領、次はアメリカ領
 
1898年にアメリカとスペインの間で米西戦争が起こり、アメリカの勝利の結果、グアム島はアメリカ領となりました。
                                 その次は日本の委託統治領に
 第1次世界大戦終戦後、ヴェルサイユ条約によりグアム以外の北マリアナ諸島は日本の委託統治領となり、当初は約4000人ほどの先住民であるチャモロ族が暮らすだけの島々でした。
 その後、第2次世界大戦の前には約4万5千人の日本人が移住して主に砂糖きび栽培など農産物の生産拠点となりました。

シューテング

親切に教えます
町角でしつっこく勧誘されて実弾射撃場へ。 街角では「親切丁寧に教えます」実際は英語でぶっきら棒な説明でいきなりスタート

合計50発60ドル(22口径ライフル、35・45・45マグナム)
もっと沢山の種類の銃が撃てて35ドルの店もあったが、知らなかった!残念

                       お土産店とティーシャツ屋の間
 一度試してみようと値段の安いビラを配っていた兄ちゃんに同意すると後ろの平屋の建物へ
 ここから車で郊外へ出て射撃場があるかと思っていたが、カウンターでいきなり書類に署名を求められ奥へ
 そこに10列くらいのゲートがあり20mくらい先に土手があり、防音ヘッドホーンと22口径のライフルを渡され早口の英語で説明しライフルにに弾をこめ、横のドアーを閉めた。
                              初めての衝撃
 その時、頭上を50×70cm位の的が奥へ送られて、用意が出来たようです。何となくこれを撃つんだなと認識したが・・・・
 ライフルは西部劇映画などでウエンチェスター銃を撃つのを見ていたので分かるので構えて撃った。 かなりの衝撃でビックリ!
 撃ち終わると、ドアーから兄ちゃんが出てきて32口径のピストルに弾をこめて渡してくれたが、先ほど衝撃で頭がボーとしていて質問など出来ぬうちにドアーに隠れた。

                    最後に45マグナム
 さすがに重い、3種類の銃の後に渡されたマグナム45拳銃、今までの銃でかなり慣れたつもりでしたが、余りのも重く手に力が入っていたのか、構えて的を狙ったが4つくらい横で射撃していた人の的に当りマスターが出てきて怒ってた!
 全部撃ち終わって店を出て道をしばらく歩いたが、一緒に行った友人もどこへ向かって歩いて行くのかフラフラしていました。


600点満点で170点

ショッピングをタモン・サンズ・プラザで

グアムで最大の免税店「DFS・グアム・ギャラリア」

出て来る人も店内も日本人ばかり

ベンツの白いリムジンで
日用雑貨から高級ブランド品まで何でもある。高級ブランド品を沢山買うとベンツのリムジンでホテルまで送ってくれます。

高級ブランド店に囲まれて昼食を

結局我々は夜食用のビールとつまみを買っただけ


缶ビールはホテルが4$、ここは1$、コンビには80¢、ジャーキービーフはうまかった

サブマリンで海中ツアー

アトランティス号 
全長20m、80トン、48人乗り、バッテリー駆動、最大深度150ft(46m)

料金96$、所要時間3時間半、潜水時間35〜45分

湾の中を進行、潜水艦までは高速艇で約10分

湾を出るとき不思議な船を発見、船長に聞くと「重要な船」とのこと

写真から判断すると潜水艦事故の時、乗員を助け出す舟ではないかと思われました

アームの先にバケットのようなものがあり、これから我々が乗る潜水艦が浮上しなかった時の救助用船か?

外洋へ出ましたがそれらしき舟は見当たりません

やがて「アトランテス号」が見えてきました

沖へ出るとアトランティス号がスタッフが手を振って我々を迎えてくれました

いよいよ乗船です

空気を排出して潜行します
船内は意外と広く圧迫感を感じさせません。 全員が日本人のためガイドは日本語でした
我々が乗ってきた船のスクリュウです。

船首の大きな窓がコクピット

写真を撮りに行ったら気安く手を振ってくれました

まず39ft(約12m)まで潜水し海底見物  画像の上にあるのが乗客が出入りする梯子と出入口

ダイバーが船外でいろいろなパフォーマンスをしてくれる

1尾2万円もするような真鯛が目の前を通ります

火気キケン!
高酸素のためか、バッテリーから出る水素ガスのためか 火気厳禁を繰り返しアナウンスされます。

                    深度102ft
 最後にマリワナ海溝に入り口まで近づき、この艦の最大深度に近い102tfまで潜水し漆黒の海底を見せてくれたが、もし万一艦が故障し浮上できなかったら?と思うと気味が悪くなりました。

アッと言う間に約40分の潜水時間が過ぎて浮上しました。

やれやれ無事帰還しました。

沖から動かない
アトランテス号はバッテリー駆動のため電力節約を考慮しほとんど移動しません。
充電のため港へ移動する時は隣の曳航舟に引っ張られます

このため観光客は島と潜水艦とを高速艇で往復して楽しみます

夕食とドッグレース

夕食は近所の怪しげなレストランで

ウエイターは全員、男ばかり
こちらも男ばかりなのでシャッターを押すよう頼んだら意外と優しくてガッカリ!

腹ごしらえをしてレースで一儲け!?

マカオで一度経験したことがあるがオッズが数万倍の8連チャンがありビックリ

最初パドックで勢いが好い犬を買ったがラスト!

特別有料席でガンバル
最初に仲間の一人が3$で25$をゲット、全員カーッとなり賭けるが、最後は全員、負け負けの大負けでオワリ

次はビーチとマリン

入場料(今回はツアー料金に含まれていました)
大人85ドル(約千円) 子供25ドル(約300円) (昼食、飲み物、アクティビティ付き)

スターサンド・ビーチ
このビーチは米軍基地の向こうにあるのか基地ゲートを通って行きました

送迎用の車両は米軍払い下げの6輪輸送車

運転席以外は観光用に改造

ジャングルの中は不気味
業者によって米軍の払い下げ車両が違います

              第2次世界大戦で日本軍がグアムを占領
 大戦中は日米攻防の軍事拠点として大激戦地となり、4万人もの尊い命が犠牲となりました。
 第2次世界大戦後、勝利した戦勝連合で結成した国連は、北マリアナ諸島をアメリカの信託統治領とし、それ以降アメリカ
の準州として現在に至っています。
 グアム島には現在も約2万3千人のアメリカ軍人とその家族が暮らしています。
 現在は、アメリカの軍事拠点と、その温暖な気候と豊かな自然環境から、世界的にも有名な観光地になりました。

プライベート・ビーチの専用ゲート
この後我々を楽しませるため岩だらけの海岸をわざわざ選んで走ってくれましたが、安全ではありませんでした
カメラはとても構えることも出来ず、降りたとき数人は船酔いを起こしておりました
到着した時、運転手は機関銃座から頭を出し、自慢げに親指を立てどうっだた!(一同ダーとなりました)

ゲートを過ぎると太鼓(ボンゴ?)で迎えてくれます

何も考えることのない時間がゆっくりと過ぎていく、波の音だけがする聞こえる空間です

グアムへ来てからテレビも新聞も電話も何も無い生活に不便や退屈を感じない時間を過ごすことに気付きました

ビーチで寝ている間に昼となりました

昼食はあまり口に合わない料理でした。

忌まわしい島
ステージでは我々を楽しませようと地元の音楽を演奏していてくれます
先の大戦で2万五千人もの日本軍人が死んだ島に観光に来ることに疑問を感じていたことも忘れていました

初めてのシュノーケル

午後はシュノーケルを付けて海底散歩です

コダックの使い捨て水中カメラ(1千円)で撮りましたが、あまりきれいには撮れません

実際はもっと綺麗でした。

こんな浅瀬に色とりどりの熱帯魚がうようよと泳いでいるとは知りませんでした!!

実際手を出しても逃げないので、捕まえようとするとスルリと逃げます

パンフレットの画像をコピーしました

午後はジャングル探検です

我々の入るジャングルは綺麗に清掃された公園のようなジャングルでした

                       横井庄一さん
 今から35年ほど前に太平洋戦争後から戦争が終わったのも知らずに、ずっとグアム島のジャングルの中に28年間、洞窟を作りそこで暮らしていた元兵士のことです。
 そして偶然現地民に発見されジャングル生活を経て「恥ずかしながら生きながらえて帰って参りました」と有名な言葉を残しました。  それ以降は平和な日本で奥さんにも恵まれ余生を全うされました。
説明者の後ろに立つ「ラッテストーン」
                     ラッテストーン
 形状は、「ハリギ」と呼ばれる直立した石柱の上に「タサ」と呼ばれるお椀型の石が乗ったキノコエリンギのよう形をしている グアムの首都ハガニャのラッテ・ストーン公園にあるものは、1.5メートルほどの高さのものが6本ずつ2列に並んでいる。
 ロタ島には、ラッテ・ストーンを切り出した石切場が残っている。ラッテ・ストーンが何に使われたものかは、17世紀後半のスペインによるマリアナ諸島の侵略により、古代チャモロ文化が途絶えてしまったためよくわかっていない。
 宗教施設や、墓石、建造物の土台説などがある。

夜の街と土産

入場するだけで5$のショップなど夜の顔はまた、一味違いを見せてくれます。

ホテルの裏山

ビックリ!
昨夜ホテルのガードマンがコピーバッグショッピングをうるさく勧めるので、出かけました。
タクシー代はサービスするとの事で、夜の道を15分くらい走り案内されました。
帰りも同じくらい時間が掛かりました

                タクシー運転手の謎
 コピー商品を買った帰りに付近の建物を覚えておこうと、思い向かいに「グアム銀行」、その向こうに飛行場、隣がTシャツ屋。
 朝、何となく散歩に出かけホテル裏の道を200mほど登ると、ナント昨夜のコピーバッグショップの横へ出ました。
なぜ?タクシーで15分も回り道をさせたのか分かりません

帰国

グアム空港

 
 

小牧は雨
グアムの3日間は晴天に恵まれましたが日本は雨でした