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日本からリマまでの長旅の疲れを忘れリマ見物を終え標高3360mの高地にあるインカの帝都クスコ

       

U-1

海抜150mのリマから    
 標高
3.360mのクスコへ

標高3,360mのクスコヘ
首都リマ(標高150m)から約1時間10分で一気に標高3,360mのインカの帝都クスコヘ飛行機で上がります。

ペルーの首都リマ、かっての帝都クスコとアンデス文明を証明するチャンチャン遺跡・チャビン遺跡・
カラル遺跡・ナスカ遺跡・マチュピチュ遺跡とティティカカ湖畔のボリビアにあるティワナク遺跡などの位置関係

今回めぐる遺跡は
マチュピチュ遺跡とナスカ遺跡の2ヶ所です
地図の左上の小さな島がガラパゴス諸島、地図下のティワナク遺跡の上にあるのがチチカカ(ティティカカ)湖です。
資料=SONY提供「世界遺産・インカのすべて アンデス5000年の旅」より)

その前に世界文明の勉強を

U-2

世界四大文明とインカ文明


 世界四大文明は                                                                      
メソポヤミア文明
(紀元前3500年頃にチグリス川・ユーフラテス川の間の沖積平野に確立された)
エジプト文明(紀元前3000年〜前30年エジプトナイル川流域)                      
インダス文明(紀元前2800年〜前1800年にインド・パキスタンのインダス川周辺)           
黄河文明(黄河の中・下流に栄えた)と言われますが、                          
近年この他に                                                                      
メソアメリカ文明
(紀元前2000年〜にメキシコ・中央アメリカで栄えた)                 
アンデス文明
(今から1万2千年前のモンゴロイド移動が起源の文明でペルーからアンデス中央に 
            世界四大文明と同じ頃に栄えた)                                
を加え世界六大文明とも言われます。                                                        

U-2-1

アンデス文明

 アンデス地方の古代文明を言い1532年のスペイン人(白人)によるインカ帝国征服以前に、現在の南米大陸、ペルーを
中心とする太平洋沿岸地帯およびペルーからボリビアへつながるアンデス中央高地に存在した文明を一括したもの。 
その担い手は、今から1万2千年前にベーリング海峡を渡ってアジアから移動してきたモンゴロイド(黄色人種)の中で分
類される古モンゴロイドであるとされています。                                           
アンデス文明は遺跡が多く、黄金のために破壊しつくされたクスコや近年にペルーからアンデス中央で
次々と解明されたカラル スーペ・チャビン遺跡・ティワナク遺跡・チャンチャン遺跡・ピサック遺跡・オリャタイタンポ遺跡・    
サラル・ナスカ・などの文明跡があります。       また「アンデス」とは段々畑の意味だそうです。                 

アンデスの語源となった「段々畑」
資料=SONY提供「世界遺産・インカのすべて アンデス5000年の旅」より)

 

U-2-2

インカ文明の起源

インカの神話には、チチカカ湖(世界の始まりの地で標高3800m富士山の標高3886m)で神は王に黄金の杖を与え
「この杖の沈む地に都を造れ」と言われ、その地が現在のクスコで「太陽の子」として都を創っただそうです。         
なおインカとは「王」の意味だそうです。 

U-2-2-A 世界文化遺産カラル遺跡(紀元前3000〜2000年)

リマ北部約140kmの乾燥地帯にあるピラミッド群
カラル スーペ(世界遺産指定)は世界四大文明と同じくらい古い文明であるが四大文明と違い大河のほとりでなく
高地に多くのピラミット群(エジプト文明のピラミッドと違い高さは低い)が造られている。                      

リマ北部約140kmの乾燥地帯にあるピラミッド群
資料=SONY提供「世界遺産・インカのすべて アンデス5000年の旅」より)

円形劇場跡は有名です。

資料=SONY提供「世界遺産・インカのすべて アンデス5000年の旅」より)

          葦製の運搬用の「網」
 ここで発見された葦で作られた石材を運ぶ網から年代が推測でき紀元前2〜3000年と判明されました。
資料=SONY提供「世界遺産・インカのすべて アンデス5000年の旅」より)

 

U-2-2-B

世界文化遺産チャビン遺跡(紀元前1000年)

チャビン遺跡はペルーから近く北東方向約13kmの標高3200mの山間部にある遺跡です。
遺跡からは農作物の歴史があったことを物語る遺物も出土しています。

             見事な丸柱
 カラル遺跡より千年ほど新しい遺跡で石積技術も素晴らしく精巧な丸柱も見られます。
資料=SONY提供「世界遺産・インカのすべて アンデス5000年の旅」より)

石の柱
神殿にある柱は神の像ジャガーをかたどった巨大な柱で天と地をつなぐ柱だそうです
資料=SONY提供「世界遺産・インカのすべて アンデス5000年の旅」

 

ティワナク遺跡(紀元前100〜後1100年)


ティワナク遺跡はチチカカ湖から17km東部のボリビア領にある遺跡でピラミッドや半地下式の神殿で有名です。

        厳しい自然環境の地
 チチカカ湖(標高3800m)の東部で標高が4000mの高地でこの遺跡は宗教的巡礼地であり、ほとんど食用栽培植物が
育たなくて国家レベルの社会など成立しない土地と長い間考えられてきました。                           
 この普段は人が住まない場所と考えられていました場所から住居跡などが存在していることが確認されました。
      黄金探しの征服者による破壊
 遺跡の破壊はすざましく、最近強引に修復した場所もあり遺跡として見ることが出来ないものもあるようです。
 破壊の原因は征服者スペイン人によるとされる記録がスペインに存在すると言われています。

資料=SONY提供「世界遺産・インカのすべて アンデス5000年の旅」より)

 

世界文化遺産チャンチャン遺跡(紀元1100年〜)

チヤンチャン遺跡はチムー帝国の都で都には10万人が暮らしていたと言われ、
日干し煉瓦で部屋を仕切り、砂漠特有の暑さをしのぐため壁の煉瓦は網の目のような窓を造っています。
帝国は最後にインカに滅ぼされました。

インカに滅ぼされたチムー王国
資料=SONY提供「世界遺産・インカのすべて アンデス5000年の旅」より)

年間数ミリの雨量のためかろうじて形をとどめる日干し煉瓦の遺跡
これ以上雨による破壊が進まないようテントに守られる遺跡群です

 

ピサック遺跡紀元1500年頃と思われます)

ピサックの遺跡の大規模は、空中都市マチュピチュに比べれても遜色なく、かつ地形や中心に太陽の神殿があり
マチュピチュに酷似していると思われ、もしマチュピチュが発見されていなければ、
インカの遺跡の代表格となりえたと言える大遺跡だと思われます。

資料=SONY提供「世界遺産・インカのすべて アンデス5000年の旅」より)

 

ピサック遺跡紀元1500年頃と思われます)

マチュピチュへ行く鉄道のとちゅうにあり、スペイン軍に反抗していたインカが立てこもっていた要塞跡です。

マチュピチュと同様険しい山地に巨大な都市が建設されています

太陽神殿の一部と言われる6枚石

資料=SONY提供「世界遺産・インカのすべて アンデス5000年の旅」より)

   オリャンタイタンボとは宿泊所という意味
 9代皇帝。パチャクテクの娘と駆け落ちした武将オリャンタイが隠れ住んだという場所。
 300段、約150bもある階段の上にあ住居ですが、隠れ住まいとは見えない規模の住居と棚田状(アンデネス)の耕作地があります。

もう一つの世界四大文明

ピサック遺跡紀元1500年頃と思われます)

最近の民間放送「世界ふしぎ発見!世界遺産・探検!シルクロード、砂漠に消えた古代文明と地底の迷宮」で
放送されたトルクメニスタンのマルギアナ文明がもう一つの世界文明と言われています。

トルクメニスタンは何処?
 シルコロード沿いの中央アジア・カラム砂漠に位置する共和国で、国民のほとんどは南部の山沿いの都市部に住んでいる。
(民間放送「世界ふしぎ発見!」より)

首都は?

首都アシガバット
 砂漠の中に突然、白亜の高層ビルが林立する大都市が現れます。
 政治体制は20世紀末にソ連から独立を果たした後の初代大統領の独裁、後開放路線となり、
国内への取材も緩和され今回の放送が可能となったそうです。
(民間放送「世界ふしぎ発見!」より)

              旧ソ連圏から独立後、砂漠から一転し巨大発展のなぞ?
 政治はインターネットなど未解放、国民は外国放送をパラボラアンテナで受信するなど独裁的な面は残るが、
経済的には天然ガス・石油・綿花栽培などの輸出で恵まれ、電気・ガス水道・教育・医療など無料で政治の不満は見られないようです。 大学も合格すれば只で通えるそうです。
                     (民間放送「世界ふしぎ発見!」より)

天然ガス・パイプライン
ガス田から中国南部まで約7000kmを敷設し反映の基礎を作っています。
(民間放送「世界ふしぎ発見!」より)

バザールも近代的な建物でトルクメン人も裕福そう
(民間放送「世界ふしぎ発見!」より)

 

本題のマルギアナ文明

エジプト文明のツタンカーメンより600年古いマルギアナ文明
4000年前の世界四大文明に匹敵する古代文明が砂漠の中に発見されました。
(民間放送「世界ふしぎ発見!」より)

砂漠に忽然と現れる文明
山すそに広がる遺跡の数々
(民間放送「世界ふしぎ発見!」より)

(民間放送「世界ふしぎ発見!」より)

現在は日本からは直行便なし
「世界ふしぎ発見」のスタッフはトルコのイスタンブールを経由して18時間を掛けて取材したそうです。
(民間放送「世界ふしぎ発見!」より)

さて世界四大文明の勉強は以上にして、早速ペルー2番目の世界遺産「インカの帝都クスコ市街」へ急ぎましょう

 

U-3

世界遺産「インカの帝都クスコ市街」

リマの朝は小雨でした
年間総雨量が数ミリの街で雨は有り難いのやら?  ホテル出発7時半ころ

街には物売り
雨の中、路上に座って物乞いをする親子を見て悲しくなりました

 

U-4

ホルヘ・チャヘス国際空港へ到着

空港まで30分(8時ころ到着)
空港の鉄塔も驚くほど細い!

駐車場はガラ空き

治安の悪さ
空港へ着いても我々はバスから降りられません。
添乗の亀川さんと現地ガイドのカルメンさんが空港ビルへ行き搭乗手続きを済ませます
その間我々は バスの中で待機。写真を撮りに外へ出るのも運転手が付いてきます

空港内にしては珍しく高い建物
勿論、航空管制塔を兼ねていますが少々高すぎ? 周りの細い鉄塔が気になります。

何故か無言でチェックイン(8時45分頃)

搭乗機までは構内バスで向かいます

銃を持った警官か警備員が多くいてカメラで撮るのが怖かった

 

U-5

帝都クスコへ

搭乗9時20分頃 やっと乗り込めました

機体は「ラン・ペル」 出発は9時40分の予定

機内にはテレビやモニターなどサービスはありません

クスコまでは1時間10分の予定です
搭乗の際の荷物検査は簡単なようでした

上空は上天気 雲の下は首都リマとフンボルト海流
沖を流れるフンボルト海流による霧のため低地の冬期は太陽が殆ど見られず降雨量も年間数oだそうです

反対の大陸側は上天気が果てしなく続いています

スペイン系
スチュアデスはスペイン語と英語です。肉か魚かと聞かれ「ミート」と答えるが通じない仕方ないので「フイッシュ」は通じるみたい

しかし出てきたのは魚でなかった
軽食(サンドイッチと西瓜ノデザート)だった!魚か肉かと聞かれたのではなかったみたい

TVもモニターも無いと思いましたがありましたがスペイン語と英語でした
有視界飛行
各都市からクスコへは有視界飛行でだそうです、夜間は飛べませんし、天候に左右されますので、スケジュールは余裕が必要です。

快晴(フンボルト海流からの脱出)
この辺りは海抜が3〜4千m(クスコは盆地で3360m)ですから、遠くの山は6千m級です

アナウンス
 「ご搭乗ありがとうございました」とかシートベルトを付けろとかランプが消えるまで立つななどのアナウンスは一切無しで
した。     クスコへ近づいたようです、主翼のフラップが少し出てきました。家並も見えてきました

大分降下したようです

クスコの街並みが見えてきました

着きました
クスコは盆地でした

建物まであまりにも近くへ寄せるのでヒヤヒヤしてました

空港の名前は「ベラスコ アステテ空港」
空港建物までは歩きかバスかと思ったらデッキがありました。

 

U-6

(世界文化遺産)帝都クスコへ到着

クスコの人口は40万人30万人と言う資料もある)

標高3,360m
1時間で海抜150mのリマから一気に富士山の8合目くらいへ。 気温も暑いのか寒いのか不明

アンデス音楽
空港では、「コンドルは飛んでいく」などの音楽で、お出迎え
その後に音楽CDを売ります。1枚5ドル(ホテルでは18ドル)

旅行社のブースが小さく並んでいます

一応警備も

「偽のお迎えガイド」に注意
自分たちのガイドかと間違えて付いていくとホテルの部屋へ通され身ぐるみ剥がされるそうです

専用のブースに居るガイドは一応安心だそうです。

壁のポスターでクスコ(Cusco)とマチュピチュ(MachuPicchu)位置がよくわかります

紫外線に注意
外へ出ようとするとクラクラするくらい透明な空気と明るさに圧倒されます

お迎えガイドがイッパイ

広告看板は携帯電話会社
タクシーは日本製、メーターがないので、
行き先を告げ運転手と値段交渉して乗り込むこと

こじんまりとした空港

お土産売り
バスまで移動の短い距離の間にどっと、取り囲まれます

バスで20分、ホテルへ11時半頃到着

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ホセ・アントニオ・クスコ・ホテル到着

ホテルの外へ出るな!
こっそりとカメラを持って外出! ホテルの周囲は民家と工場の塀など人はほとんど居ない!

クスコは盆地、周囲の山を越えなければ外へは出られません
クスコ(標高3400m)から周囲の山の一番低い峠(約4000m?)を越えマチュピチュへの谷ウルバンバ川へ出ます。
そこからウルバンバ川に沿ってマチュピチュの麓アグアス・カリエンテス駅(標高約1800m)までへ下ります。
アグアス・カリエンテス駅からバスで13折れの道で標高差400mを登りマチュピチュ入口(標高約2200m)へ。

人影が近づいてきたので慌ててホテルへ駆け込みました。

太平洋岸の「リマ」と盆地「クスコ」の位置関係

この広いペルーの国に鉄道網はか所系統)しかありません

 

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ホセ・アントニオ・クスコ・ホテル
ミーテイング

 

標高約50mのリマから一気に(1時間ほど)3400mの高地へ昇ったせいか全員静かです

昼食前に全員28名の紹介
初めて全員が揃ったためか、皆少々固まっています。
それに内心は高山病のことが、心配。アルコールは控えめ、コカ茶(コカインの葉のお茶)が有効とか

クスコでは2泊
亀川添乗員さんから部屋割り発表(後ろに居るのが日本へ留学(琉球大学?)して日本語ができるボデーガード兼ガイド)

各自部屋へ荷物を入れクスコ見物へ(この時高山病に近かったのか世界遺産を見ると言う興奮はなかった!)

バスでクスコ市内見物へ
日本からの添乗員と現地ガイドが打ち合わせ。 土産物売りがもうバスの回りに来ていました

 

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世界文化遺産「クスコ歴史地区」見物へ

クスコ市街図と観光箇所(緑印

カメラがおかしい
バカちょんカメラは大丈夫ですが、一眼レフの高級カメラが晴天すぎるのか変?

U-10

ガイドから何の説明もない見物

首都リマにもあったスペイン人が作った出窓がクスコにも見られました。

アルマス広場
クスコにもリマと同じ名前のアルマス広場があり周りには教会が
スペインは植民地政策としてインカの人々を徹底的にキリスト教に改宗させようとしたようです。

大聖堂と物売り
背中の荷物は何が入って居ているのか? 時には本物の赤ちゃんを背負っているときも

ラ・コンパーニア聖堂
ペルー随一の豪華さを誇る教会で、かってのインカ帝国の繁栄を偲ぶ建物は見られません。

銀300トンの祭壇
アルマス広場に面して立つカテドラルは、インカ時代のピラコチャ神殿の跡に建てられ、1550年から完成までは
100年を要しました。 ここに銀300トンを使った祭壇や精緻な彫刻を施した素晴らしい祭壇があります。
(ガイドが撮影禁止と言いましたが、他の観光客はフラッシュ撮影をしていました。残念!)

出口から内部を少しカメラに収めました

6月はインカの太陽祭り!クスコの広場とクスコの砦「サクサイワカン」で盛大に行われます。

U-11

インカの太陽祭り

スペイン統治時代には禁止されていたそうです

インカの祭り
6月下旬から盛大に行われる太陽の祭り「インティ・ライミーインカ」のため広場も教会内も飾り立てた人々がイッパイでした。

 

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アトゥン・ルミヨク通り

あの有名な12角の石がある通りです。石の場所は人集まりが多いのですぐに分かります。

狭い通りに観光客と土産物売りとでごった返しています。
インカの土産物売りは、あまりしつこくないので助かります
あまりのも有名な石
地元のお土産売り少年がガイドの説明が終わるまでジーと待っています
買ってあげたいのですが、あまりの大勢居るので、可愛そうですがやめました。

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12角の石


 この石の意味が種々説明してありますが、本当の意味は不明だそうです。
地震などのとき真四角な石を並べるより抵抗が大きく崩れにくいことは分かりますが膨大な手間を考えるとなぜこうまでして。

他に10角くらいの石がイッパイ
圧倒される小道はインカ時代にロカ宮殿が建っていたところです。
(残念!手前の女性にピントが合って肝心の10角石がピンボケ)
インカとは
ケチュア語(インカの公用語)で「太陽の子
インカ時代のメイン道路
クスコとは「へそ」の意味(宇宙の中心)
その先にはたくさんの土産物店が

インカの人は恥ずかしがりや
明治・大正時代の日本人みたいです

12角の石がある通りのほかの道は観光客も居なくてガラすきです。

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「Inka Roqa」インカ道

「Inka-Req'a](インカ道) 家の角に看板が
インカの時代に国内に網の目のように張り巡らされた道、日本ならさしずめ中山道、東海道でしょう)

石組みの中に喫茶店も土産物店もあります

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石垣門の中は広い商店

インカの石垣の間にある門
この門は今は商店の入り口になっています。中は洒落たお土産店が多いようです。

中は宝飾店でした

隣も観光客目当ての宝飾店でした

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石垣門の上は木製の家か?
スペイン時代の名残の出窓?

一般の町並み
やはり石組みの上に建物を建てスペイン統治時代の貴族の館の名残りの木製の出窓を作っています。

観光ポリス
ペルーの主な都市には観光ポリスが居ます。
主な観光客の国の言葉が話せてインフォメーションの役目も果たす心強い存在です

 

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クスコの観光地図

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サント・ドミンゴ教会

(コリカンチャ=太陽の神殿)

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インカの石組みの上に建てられた
スペインのサント・ドミンゴ教会

 

入場料大人 6ソル(210円)

表の入り口はあまり有名ではありませんが、入場チケットにある裏側の造りは有名です
中がこんなに広かったとは知りませんでした。

中はビックリするほど重厚で広い、この中に黄金像などがあり、全てスペイン人が略奪したそうです。

入場口(入場料大人 6ソル(210円)

酸欠
入り口近くに酸素吸入室があり、早速仲間がお世話になりました

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この回廊はスペイン風ですので
後からスペイン人で作られたと思われます。

スペインへ持ち帰った金は6トン
中庭には黄金製のトウモロコシ、20頭のリャマ、牧夫の像が置かれていた言います。

中庭にはインカの皇帝に扮したお祭りの行事が始まろうとしていました。

 

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ここからがインカの石組み
黄金の像がいっぱいの祭壇

この教会の中には教会が建てられる前にあったインカの神殿そのまま残っています。

現在のコリカンチャに残っている神殿の一部

当時は壁には20cm以上の金の帯が付けられて、金で覆われた太陽の祭壇があったそうです

当時は屋根は藁葺らしかった?!
金を奪った後はキリスト教会を建てようと壊しに掛かりましたが、あまりに堅牢な造りでそのまま放置されました

そんな神殿がずらりと並びます。 少し先からスペインの教会のアーチが見えます。

其の造りの精密さに圧倒されみんな黙々と歩きます。

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このアーチはスペイン人が
作ったと思われます

無理やり教会のアーチを組み込んだ部分もあります

インカの石組みの上にスペイン人が教会を
スペイン人は石組みが頑丈なため解体するのを諦め、その上にキリスト教会を強引に建てた

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かってのコリカンチャ(太陽の神殿)に黄金の像が飾ってあった想像画

当時インカから持ち去られた黄金は16トンと言われ、現在の価格グラム3000円とすると480億円?!
(CBC放送のSONY提供世界遺産「インカのすべて アンデス5000年の旅」より)

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黄金の像が無くなった
コリカンチャ(太陽の神殿)

屋内は
壁の窪みには金の像は飾られていました。それらはスペイン人によって溶かされ本国に送られたそうです

コリカンチャ(太陽の神殿)
コリカンチャ(太陽の神殿)のコリが「黄金」、カンチャが「囲い場」を意味します

窓は隣の部屋のまた次の部屋へと正確に造られています

かみそりの刃1枚も入らない石組み
神殿の石組みの緻密さは他の石積より精度が高く圧倒されます

黄金の略奪の跡が生々しく残っています

よほど立派な黄金細工がしてあったのでしょう

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現在のコリカンチャ
(太陽の神殿)の外観

外側のカーブしたインカの石積
コリカンチャ(太陽の神殿)の土台の上にドミニコ会士たちは、
サント・ドミンゴ寺院と修道院を建設しました。

教会の裏からのクスコの眺めは素晴らしい

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インカの石組みの上に
建てられたスペインの教会

インカの石組みとスペインの石積みの差が一目瞭然の風景
その上、正面からは4角形の石組みですが、上から見ると地震に強いように石が組まれています。

この石組み方法をを見れば素人でも地震に強いことが分かります。

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地震にも強かった

インカの石組みの秘密

インカの石積みの強さの秘密
石積みの上へ上がって分かりました。コンクリートブロックを積むような手法でなく大きさや形を変えて組み合わさっていました

謎のこぶの説明は無かった
外側がきれいにカーブしている石積みの内側

コリカンチャ(太陽の神殿)の土台の上に征服者スペインのドミニコ会士たちは、
サント・ドミンゴ寺院と修道院を建設しました。

正面へ回って次の遺跡へ

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コリャカンチャ(太陽神殿)

の正面へ戻る

再び正面へ戻って見物は終了

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バスへ戻る

バスの横には土産物売りが待っていました

クスコの市内見物を終えバスで郊外へ向います。

この後未だ6ケ所の遺跡群へ大急ぎ!

クスコ郊外の六つの遺跡群

インカの祭事跡ケンコー遺跡
クスコの要塞(関所?)プカ・プカラ遺跡
インカ時代の沐浴場タンボ・マチャイ遺跡
クスコの東の巨大要塞サクサイワマン遺跡
山中の温泉から塩を採るマラスの塩田
マチュピチュへ向かう途中にある九代皇帝の城といわれるオリャタイタンポ遺跡

 

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クスコ市が見下ろせる

高所へ移動

圧倒される古代インカの石組と貧しそうなインカの土産物売りに戸惑いながらバスは郊外へと向かいます。

クスコ市街地には日本人ばかりでなく他の国の観光客もイッパイです

ガイドは4百年前のスペイン人がよほど憎いのか、盛んに愚痴をこぼします

小さな村を通っても中央に広場があります

坂道をどんどん上がってクスコの街が下のほうに見えるようになりました

 

U-31

クスコ市街俯瞰

さっそく土産物売りが集まってきました

クスコは盆地、どこへ行くにも山を越えなくてはなりません
画面中央に先ほど見物したコリカンチャ神殿(サント・ドミンゴ教会)があります

アルマス広場と大聖堂

観光客に写真を撮ってもらって生計を立てる家族とアルパカ
一日1ドル(100円)あれば1家族が暮らせると聞きかわいい女の子の頼みを聞いてパチリ

ポーズをとるアルパカ
他の人も、気前良く写真を撮りチップを出していました。

ペルーの首都クスコの空港
クスコ市街の外れに国際空港アレハンドレ・ベラスコ・アステテが見えます。

ペルーの大文字
区国際空港へ着陸する時見えあるように北側の山に「Peru」の文字が見えます
 ペルーでは2011年に大統領選挙があるそうで、その宣伝らしいです。

私も記念にお土産を買いました。

U-32

クスコ市外で土産を

値引きの面白さ
土器のオカリナが3個=1ドル(言い値は1個=3ドル)
同行の女性が相手が「サンコ1ドル(1個約33セント)」と言っているのに「1個1ドルにまけて」
相手の女の子はキョトン?周りの全員が大笑い!

インカの人たち特に子供は片言の日本語ばかりでなく、英語、フランス語も話し土産物を売り1家を養うそうです

「売り子は「ベビーアルパカ」といいましたが平均1枚8ドル(800円)です。

手のこんだアップリケと色の配分が気に入り買いました。

               インカ時代の染色技術発達の基
 TVに人気番組「世界ふしぎ発見」の04年3月の番組で 古くインカの時代からカラフルな文様の織物が発達した理由は綿花が日本などの白色一色と違い黄、緑、赤、茶などの色の綿花があり基本的な染色の必要は無く補助的に色を加えればいろんな色に染めることが出来たそうです。

「ベビーアルパカ」
土産売りは何でも毛織物は「ベビーアルパカ」と言います。
ベビーアルパカは2歳までのアルパカの子供の毛のことで2歳までには一度だけしかは取れない。それ以外は「アルパカ」

この峠で大体の値引き方がわかりました
このあと現地では値切ることが面白く余分なものまで買うようになりました。

U-33

ウルバンバ渓谷の遺跡

U−34 ケンコー(Qenqo)遺跡
U−35 プカ・プカラ(PucaPucara)遺跡
U−36 タンボマチャイ(TamboMachay)遺跡
U−37 サクサイワマン(Sacsayhuaman)遺跡
U−38 マラスの塩田(Maraz)遺跡

クスコ近郊の遺跡地図

U-34

ウルバンバ渓谷の遺跡

ケンコー(Qenqo)

見物人が蟻のよう
岩を彫って造られた遺跡
「Qenqo」とはケチュア語でジグザグと言う意味。
インカの祭礼場と言われる遺跡でピューマが浮き彫りにされた6m巨石を中心に、座席の役を果たす壁が
半円形に広がっています。上には生贄の血を流して占いをしたジグザグの窪みが彫られています。
下には(画像の人が居るところ)半洞窟になっていて、皇帝の座った玉座の台もあります。

山の中の遺跡かと思ったtら近くに民家の屋根が沢山見えたのでした。

U-35

プカ・プカラ遺跡

プカ・プカラの看板

プカ・プカラ(PukaPukara)
Pukaとはケチュア語で「赤い」と言う意味で、今でも赤い色が石に残っているそうです。
見晴らしのいい場所にあり、クスコの要塞とタンボマチャイの見張り場でもあったのしょう。

遺跡の手前に土産物店が待ち構えている
小さな子がかわいい顔して「カメラ、カメラ」といって近寄るとついお金を出してしまう

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タンボマチャイ遺跡

タンボマチャイ(TamboMachay)

駐車場の両側にお土産屋さんがお出迎え

夕暮れも近づき疲れてきて、また石組み!飽きてきた

サイフォンの原理?
どこから流れてくるのか分からず、かってその水源を探ろうと色素などを流して調べたが不明
サイフォンの原理を利用して、遠くからはるばる水を引いたと言われています。

雨季、乾季を問わず常に同じ量の水が湧き出ている、インカ時代の沐浴場だったようです。

内側にカーブルする石組みは大変難しいそうです。

お土産屋さんが一生懸命
買いたいけど荷物になるので勘弁して

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サクサイワマン遺跡

サクサイワマン
(Sacsayhaman)

クスコの東を守る要塞跡入口

広大な遺跡
数日後に行われる祭りの準備で桟敷席が組まれていました。
当日(6/24)は桟敷席が15ドル、学校は休みとなりこの広場が人で埋め尽くされる

ここでスペイン軍を迎え撃ったのですが、やはりインカ軍は惨敗!

太陽の祭り
太陽に収穫の祈願と感謝をする祭り
(6月24日)

クスコで、古代からの祭りを再現されたもの

今では南アメリカ3大祭りに数えられている

この祭りはクスコの街の太陽の神殿でも行われています。

 

夜は戦わないインカ兵
クスコをスペインに占領されたインカの軍隊2万人がここに立てこもったが、夜は戦わない習慣のためあっけなく陥落

少々ピンボケですが
高台から見たサクサイワマン

これだけかと思ったら奥にまだまだ沢山の砦が

要塞の規模
300トンもある巨石を3層のに組、22回もジグザグを描き360mにも亘り造られた要塞でしたがスペイン軍に簡単に陥落

馬と車と文字がなかった民族の悲劇か

果てしなく続く石の要塞に圧倒されて

クスコの護り
画面左の夕日が当たった山肌にクスコの街から見える文字があります
その下がクスコの街です

夕日に照らされて22のジグザグが良く分かります

駐車場が見えてきて現実の世界へ戻りました

サクサイワマンの砦から北西に約1時間半、くねくねした道を進むとマラスノ塩田に着きます。

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マラスの塩田

Maraz

   内陸で高地でも塩の心配がなかった謎
 日本でも武田信玄を持ち出すまでもなく、内陸生活で苦労するのは塩の確保のはずだが、インカ帝国時代、20万人が住んでいたクスコには全く心配がなかった訳は、この塩田のお陰である。
 ここには塩分を含む温泉が湧いていて、それを得意の石垣技術で棚田を造り塩をとる。
 塩水を棚田にため、天日で乾燥させる。 その数約4000。標高3000bの山肌に、真っ白な塩田が5〜6`にわたって並んでいます。

さらに北西へ1時間進むと、オリャンタイタンボ遺跡がありますがクスコへ。

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クスコへ帰着

山を抜けると屈すこの町が見えてきました。
インカの悲しい歴史を1日中観て気分も沈んでホテルへ
道端には日干しレンガの塀が崩れかかり今も貧しい生活がうかがえます。

 

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クスコ料理とインカ音楽で
ディナー

全員、食事の量の多さにうんざり

何肉とポテト タスル
トーモロコシを潰して鶏肉と混ぜてバナナの葉を
巻いて焼く

シルバー、内田さん、上野さん

斎藤さんご夫婦

添乗の亀川さんと九州の麻生さん

 

高山病を予防してくれたコカ茶

アンデス音楽に乗せて明日はマチュピチュへ

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コカインの葉のお茶!
「コカ茶」

高山病予防の「コカ茶」
「コカ茶」は現地の人は日常の飲み物、ホテルのロビー、土産物店にも、銀行の待合室にも置いてあります。
「コカ茶」とはコカインの葉のお茶。
出国の際には葉1枚たりとも絶対に持って居ないようにくどく言われました。

飛び入りで演奏に加わった?さんと?さん

クスコの夜は更けてゆきます

明日は4時半起床、5時半出発 世界遺産「謎の空中都市マチュピチュ」へ

        

このHPはmoriy@シルバーが旅行した当時(2004年)の記録です。
その後、現地の状況などが変わっています。
旅行の参考にしてくださる時は他の方法でも確認して、お出かけ下さい。