今回は南米大陸の太平洋岸に位置するペルーの世界遺産の旅を紹介します

2004・6
16〜23

      

ペルーの世界遺産紀行の概略を下の表で紹介しますがペルーには世界遺産10箇所あり
今回はそのうち4箇所リマの歴史地区クスコの市街マチュピチュナスカの地上絵旅をしてきました。
HPは5ページに分けてあり、下の画面などをクリックしてくださればヒットします。

「ペルー世界遺産紀行」目次

1ページ

リマ県
ペルーの首都

 

リマの歴史地区
(世界文化遺産)
1988年登録

リマ県

ホルヘ・チャベス
空港からバスで
15分

サン・マルティン広場
下車

2ページ

クスコ県

クスコの市街
(世界文化遺産)
1983年登録

クスコ県

リマから飛行機で
約1時間

3ページ

クスコ県

マチュピチュ
(世界複合遺産)
1983年登録

クスコ県

リマからクスコヘ
飛行機で約1時間
そこから列車で
3時間半

アクアス・カリエンテス駅
下車

4ページ

シユスタニ遺跡と
チチカカ湖

リマからフリアカ空港へ約1時間半

空港から遺跡まで
バスで50分

ページ

チチカカ湖

チチカカ湖の
浮島ウロス島

チチカカ湖畔の
プーノへは
クスコから310km
ウロス島は
プーノから舟で
40分

ページ

イカ県

ナスカとフマーナ
平原の地上絵

(文化遺産)
1994年登録

イカ県

リマよりバスで
約7時間

                  参考
 
 (ペルーの世界遺産=10 今回紹介遺産は4(ピンク色)

 文化遺産:クスコ市街チャビンの考古遺跡チャンチャンの考古地区・   
          リマの歴史地区ナスカの地上絵アレキバ歴史地区
 自然遺産:ワスカラン国立公園マヌー国立公園                  
 複合遺産:マチュピチュリオ、アビセオ国立公園                 

さて、マチュピチュへGO!

Tー1

南米ペルーって何処?

日本からは北米のロスアンジェルス空港を経由して南米Peruのリマ空港「ホルヘ・チャヘス国際空港」へ向かいます。

画面の白い傷のような跡は空中の水分が窓に付いた氷です。

地図に航空路がカーブして描かれる場合と直線で描かれる理由?

 一般の平面地図では上地図のように目的地まで湾曲した飛行路で表すため、最短距離で飛行していないように思われますが、実際には下の地図のように目的地まで最短距離で飛行しています。
 これを平面な地図に緯度経度を正確に落すと湾曲したようになるのです。

直線で描ける地図
成田空港からロス経由リマまでのコース設定

成田〜ロス=10時間、ロス〜リマ=8時間半

飛行時間約10時間でアメリカの西海岸玄関口「ロスアンジェルス国際空港」へ
刻々と近づくアメリカ大陸を見て時間をつぶす「太平洋って広いな!!」

成田からロスまでの約10時間は退屈!!雲と海ばかり

 

Tー2

途中アメリカ西海岸ロスアンジェルスで乗り継ぎ

 

          テロの用心でスーツケースには鍵を掛けるな
 
               (到着は現地時間13時=予定通り)

 日本でチェックインする時スーツケースには鍵もベルトも出来ません。 
 これは航空会社に荷物を預けた後荷物検査官が各荷物に危険物が入っていないかを徹底的に調べるためです。
 またロスではトランシット(通過)なので通常は荷物検査は無く積み替えられるだけですが、最近はトランシット(通過)だけでも荷物検査が厳しく、ケースを開梱して再度ケースを閉じる時荷物詰め過ぎていて出した荷物が入らないときは荷物を捨てられてしまう場合があるそうです。
 このためケースの鍵はショックなどに丈夫でしっかりしたものにすることと、荷物を入れ過ぎないように注意すべきです。
 無理してギュウギュウ詰めで検査官が開けた場合検査後、入らない荷物がある場合は詰めてくれません。

ロス土産
なんとなく「Dustin」(ごみ?)が気にって(@2.99ドル=約300円)

ロスアンジェルス空港からリマ「ホルヘ・チャヘス国際空港」まで約8時間半の飛行です。

Tー3

アメリカ西海岸ロスアンジェルスで乗り継ぎ

南米ペルーリマの

「ホルヘ・チャペス」国際空港へ到着

「リマ(ペルー):ホルヘ・チャベス国際空港到着の際の注意喚起(2004・06 外務省HPより

 リマのホルヘ・チャベス国際空港で、出迎え人を装った窃盗事件が発生の件
 リマの到着は深夜だった。それでも、空港を一歩出ると、煌々とした灯りがつき、もの凄い数のツアー会社の人・知り合いの出迎えらしき人・客引きと思しき人で溢れていました。
 ツアーで行ったので、その旅行社の看板を高く持った人がいるのを見つけてほっとしました。
 あの喧噪の中で日本語で「お迎えに来ました」と言われてしまったら、そのまま、その車に乗ってしまうだろうと思いました。
 その場合、予約とは違うホテルに連れて行かれるか、車の故障と称して乗り換えさせられたりして、その隙をついてスーツケースなどから貴重品が盗まれる事件が起きているということでした。

               以下こんな、注意喚起や警告ばかりの10日でした

 

Tー4

今回の南米ペルーの主な訪問地

今回の訪問地の位置
ペルー共和国の面積は日本の3.4倍で、国土は大きく 3つ に分けられ、
太平洋側の海岸砂漠地域コスタアンデス山脈の山岳地域シエラ、アマゾン川流域の熱帯雨林地域セルパです。

今回訪問地は多分太平洋側の海岸砂漠地域のコスタリマ・イカ・ナスカ・フマーナ と 
アンデス山脈の山岳地域シエラ、のマチュピチュ・クスコ・プーノ(下図の赤印の
チチカカ湖の浮島ウロス島はどちらに入るのかな

今回訪問する地は
 
訪問地は首都リマ「世界遺産リマ歴史地区」、インカの帝都「世界遺産クスコ市街」空中都市「世界遺産マチュ・ピチュ」「世界遺産ナスカの地上絵」と地上絵の飛行基地「イカ」やチチカカ湖の浮島「ウロス島」基地のプーノなどです

 今回は訪問しないペルー北部には「チャンチャン遺跡」(世界文化遺産)「チャビン遺跡」(世界文化遺産)
「カラル遺跡」「クントゥル・ワン遺跡」、モチェ文化の太陽のワカ・月のワカなど等の遺跡ががありますが。                 

治安不良
到着時に再度「治安が悪いので個人行動は慎むよう」厳重に旅行会社から言い渡されました。

ホルヘ・チャヘス国際空港
リマのセントロ(旧市街)から12kmと近い夜のリマの国際空港です

夜中の1時半到着
リマ空港着が予定より1時間遅れ、空港は賑わっていました

日本から25時間
ホテル着は夜中の2時過ぎ、機中泊では十分睡眠が摂れていないため眠い!早くベッドに入りたい
(ここまではヨーロッパ旅行と変わりありませんが!)

リマの宿泊地「シェラトン・リマヘテル」へ到着

Tー5

Sheraton Lima Hotel 寸描

シェラトン・リマ・ホテルの位置
「地球の歩き方」のトップに紹介されている5ツ星ホテルです。
リマの旧市街(セントロ)のクラウム広場近くです(地図の下部の緑印

「シェラトン リマ ホテル」 
ホテルの吹き抜けも立派なホテルで安心しました

20階建ての立派なホテルで「地球の歩きかた」のトップに載っています
エレベーターは25階までと40階までに分かれています

自慢のカジノもあり、スーツの下に拳銃を忍ばせたガードマンが居ました

チェックインは真夜中に添乗員と現地ガイドがしてくれました。

フロントは日系人か日本人?
ホテルのチェックインは現地ガイドと日本から同行の愛知県の亀川さんがやってくれています

我々はロビーで部屋のキーをもらって寝るだけですが!眠い!ねむい!

日本から約30時間
ホテルの部屋へ入ってシャワーを浴びて就寝したのが2時半頃
4時間ほどの就寝で朝! 今日は世界遺産リマ歴史地区見物です。
 まずは朝食 日本を出てから4食は機内食だけやっと広い部屋でテーブルで食事ができるました。

朝食は25ソル(900円) 
(1ソル=36円)

ペルーではじめての朝食

下欄の朝食のメニューらしいがさっぱり分からない

シェトラン朝粥

日本人向けの朝食案内
治安が悪いと聞いてきたが、日本人が多いらしいので安心しました。

反省!
さっそく朝粥を食べてみましたが旨かった!

朝粥
おかゆには鶏肉が入っていました(あまり口に合わない)
味噌汁は白味噌で豆腐にネギも用意してありましたがやはり現地の食事をすべきでした

お粥はコンロで温めてありました

炊飯器は日本製でした

郷土料理
土鍋にはおいしそうなペルー料理がありました。(しかし食べる気がしません)

レィイエノ(牛の血の野菜団子)

飲み物は大体わかりました(ミルクは牛からヤギなどまでありました)

ワーヤハ(サボテンの実)
アケビのように種が多いが甘い食べ物

グラナデラジャ
ペルーの果物

やはり日本食中心になります

セビッチェ
ペルーを代表する料理の一つ日本人の口にも合います

何?コーンに色を付けたもの?

 

Tー6

ペルーの土産

ホテル内にもインカの黄金アクセサリー(模造の純金製)があります
高級アクセサリー店

このブランドはペルーの有名ブランドらしく「黄金博物館」の中にもありました

値札は裏返してあり見えませんでした

地下のショッピング・ギャラリーへの案内板には日本語もありました

全部安くて欲しい物ばかり!
全部買いたくなる!
先日来た日本人は壁の古風な扇風機を売ってくれと言ったそうですが現用品なので断ったそうです。
艶のない素朴な感じのする土人形が人気でしたし気に入りました。
ホテルのショップはずいぶん高い(HOTEL55ドル=地方27〜29ドル)
ホテルは値段が10倍
オカリナは1個3ドル(地方では3個1ドル約33円=1/9
竹笛(リコーダー?)は9ドル(地方では3〜5ドル=1/2〜1/3)
サイモン&ガーハンクルで有名になった「コンドルは飛んでいく」の楽譜が付いていました
音は簡単に出ますが上段下段を選ぶのが難しく、現地では子供が簡単に吹いて見せましたので思わず買いました
下のCDも買って楽しんでいます
音楽CDは18ドル(地方では5ドル=1/3)
日本語版案内書は25ドル(地方では16ドル)

 

Tー7

ペルーのラシュアワー

ホテルSheratonLimaのご周辺のラッシュアワー

朝はフンボルト海流により霧が発生します。経済が悪いと言いますがラッシュは日本以上です
最高裁判所や高い建物は霞んで見えません

テレビは日本語でNHKの海外版が見られます

8時過ぎると霧も晴れ視界が良くなります。ラシュアワーも過ぎたようです。

我々が乗るVOLVO社製の迎えのバスも到着したようです 小雨ですが、まずはリマ歴史地区見物へGO

ペルーの首都リマの世界文化遺産「歴史地区」観光に出かけます。
空は相変わらず曇りの空模様ですが、これはペルーの海岸を流れる南極からの冷たい
「フンボルト海流」の性らしいです。

 

Tー8

ペルーの首都 観光出発

 

リマはチャラと呼ばれる海岸の砂漠地帯に位置し、年間を通じてほとんど雨が降らなくて、
フンボルト海流の影響で冬(6〜8月)はどんよりとした曇りの日が続くうっとおしい街です。

フンボルト海流は南国近くから南アメリカ大陸の西岸に沿ってチリ沖にあるガラパゴス諸島あたりで
大きくUターンして南極へ戻る海流、このため海流が北上する沿岸のペルー・チリは涼しく快適で
海にはプランクトンが豊富に供給されガラパゴス諸島は赤道直下でも過ごしやすく漁獲は豊富
な恩恵を与えています。海流の名はドイツのフンボルト博士から名付けられました)

ペルーの首都です

現地ガイドは日本留学生
下の地図からも分かるように昔のスペインの植民地時代には中央部に10の教会を建て
強制的に現地人をキリスト教に改宗させた、ガイドはこのことを我々日本人にくどくどと説明し、
帰国までに我々も大分感化されたように思えましたが日本語は上手でした

キリスト教会が10ケ所
スペイン
は南米へ上陸し黄金を略奪したと住民をキリスト教に改宗させるため
各地に教会を作り住民をキリスト教に改宗させたそうです。

リマの概要(人口約800万人)
 リマ
(Lima)はペルー共和国の首都並びに政治、文化、金融、商業、工業の中心地です。
 人口約800万人でペルー共和国最大都市です。南米有数の世界都市であり、近郊を含む都市圏を
入れると世界第27位だそうです。

     ペルーの世界遺産は全部で10箇所
  文化遺産は     リマの歴史地区(今回訪れる予定)                 
                     クスコ市街
(今回訪れる予定)            
                       ◎ナスカの地上絵
(今回訪れる予定)         
                     アレキバ歴史地区                 
                     神聖都市カラル遺跡
                 
                     考古遺跡チャビン遺跡
                
                         考古地区チャンチャン遺跡     の7箇所   
  自然遺産は   ワスカラン国立公園                         
                         マヌー国立公園           の2箇所   
  複合遺産は マチュピチュ(今回訪れる予定)                     
                         リオ・アビセオ国立公園       の2箇所

今回このうち4か所訪問予定です。   

 

Tー9

世界文化遺産

リマの歴史地区

セントロ(旧市街)
アルマス広場を取り巻くコロニアル建造物は
スペイン統治時代の名残りを残すものばかりです。

アルマス広場とカテドラル(大聖堂)

 

キリスト教会が10ケ所
スペイン
は南米へ上陸し黄金を略奪したと住民をキリスト教に改宗させるため
各地に教会を作り住民をキリスト教に改宗させたそうです。

リマのセントロと言われる地区にある教会群名

1.サン・フランシスコ教会・修道院
2.サント・ドミンゴ教会
3.サンタ・ロサ教会
4.カテドラル
5.サン・ペドロ教会
6.サン・アグスティン教会
7.ラ・メルセー教会
8.ラス・メサレス教会
9.サン・マルセーロ教会
10.ヘスス・マリア教会

以下の画像が各教会の画像ですがどの画像が
どの教会か不明です。

リマの名前の由来 
リマは1535年にインカ帝国を征服したスペイン人のコンキスタドール、フランシスコ・ピサロによって築かれました。
リマの名前の由来は市内を流れるリマック川(río Rimacが訛ったもの)に由来すると言われていますが、
当初の名前は"La Ciudad de los Reyes"(諸王の街)であったそうです。

セント地区とチャラ地区
リマは植民地時代に建てられた建物が多く残り世界文化遺産に登録されセントロ地区と
チャラと呼ばれる海岸砂漠地帯の新市街に2分されています。

教会の石組みはスペイン人に強制され造られたと言われています

かっての植民地時代の苦悩を忘れたかのように広場で若者が楽しんでいました。

植民地政策で現在は殆どのペルー人がキリスト教だそうです

広場の周りはかっての植民地時代の商館でした。現在は何なのか聞き忘れました

リマ・マヨール広場
鎖の柵の中へは入っていけないことになっていました。

リマ大聖堂

リマ大聖堂の聖歌隊席

祭壇はインカ人から奪った黄金で豪華に祀られています

大聖堂は何度もの地震に見舞われ現在の姿になった

 

Tー10

インカ帝国の黄金は
現在はスペインのセルビアにあり

旧インカ帝国は黄金の国
インカ帝国から奪った膨大な黄金は溶かされて本国スペインへ送られ、その量の多さに
当時のヨーロッパの金の相場が下落したとも伝えられています。

インカの黄金で飾られた教会の祭壇は本国スペイン・セビリアにあります

セビリア大聖堂の黄金の祭壇

インカから奪った黄金を贅沢に使っています。

 

Tー11

リマのスペイン統治時代の建物

出窓が特徴です。 他にもスペイン統治時代の建物が広場を囲みます

隣の大司教官邸(出窓が特徴だそうです)

大司教官邸の出窓の拡大写真

大司教官邸の出窓は植民地当時の名残り

旧貴族邸だった現外務省

市庁舎

市庁舎の主ホール

街にも植民地時代の出窓が

大統領官邸

 

Tー12

世界文化遺産
大統領府衛兵交代式

観光のための儀式

大統領官邸

かってはこの官邸にフジモリ大統領が居ました

時差ボケのせいかカメラがおかしい!?

大勢の見物客が取り巻きます

 

Tー13

征服者ピサロ騎馬像

大統領官邸の西側にはピサロの騎馬像があります。

先住民は「神は4本足の人」と言われていたため原住民は
「神が船でやって来たと勘違いして簡単に征服された

残忍で知られるフランシスコ・ピサロの銅像

リマの建設者ということで置かれているのですが、多数の先住民を殺したのでマイヨール広場の中には置かれなかったそうです。

かって突然上陸して残忍な行為と略奪をした征服者の銅像の下を平然と憩う市民?

四足の神
征服したスペイン人は船から馬に乗って上陸したため、現地人は「神は四足の人」
と言われていたので何の抵抗もなく神と敬い従ったといわれています

市庁舎はリマの色の黄色
カテドラルの向かいにある黄色い建物はリマ市の市役所で、黄色はリマ市の色だそうです。

治安が悪いので観光客のための警備隊が取り巻きます

現在のリマはスペインによる西洋化された当時のままとなっています。

 

Tー13

何故か有名な歌
「ニッケの花」

チャブーカ・グランダ(1920〜1983)
リマにこだわり ワルツにこだわって、歌を作り続けたチャブーカ・グランダ
中でも「ニッケの花」は南米中に広まりペルーを代表する名曲となりました。

「ニッケの花」のニッケとは?
ニッケ(シナモン)はペルーでも料理やお菓子作りに欠かせない
香辛料で、たっぷり使います。
日本ではニッキ(肉桂)といい飴などに入れて味わいます。

「チャブーカ・グランダの小道」
そんなリマの片隅にある彼女の名の付いた道

リマにこだわり ワルツにこだわって歌を作り続けたチャブーカ・グランダは美空ひばり

 

Tー14

何故か有名な
「はだしの並木道」

なぜ「はだしの並木道」か不明

はだしの並木道

かってのスペイン副王が造らせた並木道です

 

Tー15

「スペイン副王庁闘牛場」

南米最古の闘牛場がスペイン副王庁の置かれた往時をしのばせます

続いて町中へ。ペルー大使館人質事件のあった旧日本大使館跡見物と昼食へ出かけます。

渋滞の中、次の旧日本大使館跡へ

いたるところに物売りが目立ちます。日本の終戦後の様です

買ってあげたいけど?!
バナナ少々と飲み物 衛生的に大丈夫なら買ってもいいけど???

「SOLO・BUS」はバス専用路のことか?

日本とペルーの修交50周年記念公園はほとんど人影はありませんでした。

労働省の前には職よこせのデモ隊が取巻いていました

日本の中古車がそのまま走っている

日本の中古車
日本で使っていたままの企業名や「非常口」「自動扉」などと漢字で書いたまま走っています。
勿論、通行が左右違うので自動扉は溶接してあります
「Pioneer」(音響メーカー)パイオニアのまま走っていました

 

Tー16

人質事件の「旧日本大使館跡」

                  在ペルー旧日本大使公邸跡に着きました
 1996年(平成8年)12月17日(現地時間)に、ペルーの首都・リマで起きたテロリストによる駐ペルー日本大使公邸襲撃および占拠事件の現場です。

              人質は1人が犠牲、テロリストは全員射殺
 翌1997年(平成9年)4月22日にペルー警察の突入によって事件が解決するまで、4ヶ月間以上かかった。在ペルー日本大使公邸人質事件とも呼称される。

正面入り口は割に小さなものでした
旧館内はとんでもなく広く、何故こんなに広い敷地が必要なのか分かりません。

ガイドはペルー在住の日本人女性でした。 バスはスエーデン製VOLVO(ボルボ)です。

入口の木製扉には当時の弾痕
敷地内には入れないので、このドアーを見に来ただけで時間を持て余します。

向こう三軒両隣は高級住宅のようで人影は見えません

どの家も厳重な構えでした

国旗が立っていることからどこかの国の大使館? コンクリート製の監視塔なども見えます

                  気になる細い塔
 屋敷内に2本の鉄塔が立っていますがあまりにも細くてワイヤーで支えられていると思われますが日本では建築許可にならないでしょう。
 上に搭載されているのは監視カメラか? 点検で上る人も怖いくらいの細さでした。

帰りに近くの現「日本大使館」前を通りました

現在の日本大使館
贅沢な建物で厳重な塀に囲まれ、親善を果たせるのでしょうか。
厳重すぎる警備
大使館の四隅にはトーチカの様な警官詰所、正面には立番警察官
パスポートには「紛失した時は現地の大使館へ届けよ」とありますが、
これではパスポートなしでは近づくこともできません

現地で「パスポートを無くしたら大使館へ」と書いてありますがゲート前の警官に、
まず「パスポートを見せろ」と言われそうで近づけそうにありません?

昼食は都心のセント地区から素晴らしい海岸沿いの新市街チャラ地区へ

Tー17

砂漠海岸の「チャラ地区」
冷たくて寒いフンボルト海流が流れる海岸

砂漠海岸の「チャラ地区」

魚料理のおいしいレストラン「ロサ・ナウティカ」と
「恋人たちの公園」の場所

ミラフローレス海岸から見たリマの街

ミラフローレス海岸の名所
フンボルト海流に突き出た魚料理がおいしい「海のバラ(ロサ・ナウティカ)」

ロサ・ナウティカ

魚料理の有名レストラン
レストラン名は「ロサ・ナウティカ」(海のバラ) 魚料理がおいしいそうです
沖を流れる「フンボルト海流」は南極から豊富なプランクトンと共に流れてくるので
漁獲量は豊富で、気候も涼しく、水温が低いので水の蒸発が少なく雨が降らなくて
大地は乾燥地帯です。

恋人たちの公園

冷たい風の「恋人たちの公園」
芝生の上にナスカの地上絵が描かれた美しい公園ですが、人は誰も居ません。
海には南極海から流れてくる「フンボルト海流」の冷たい海水のため風が冷たく散歩どころではありません

フンボルト海流のため雨が少なく(年間数ミリと聞きました)
緑を確保するため贅沢に散水しています。
(緑はおもてなしの証だそうです)

お客が居ない
あちらこちらの果物売りが居ますが、お客は誰でしょう(観光客?)

崖崩れが心配な土壌
崖はコンクリートや石垣で護岸されていません。柔らかそうな土で雨が降れば崖崩れが起きそうです。
下には海岸すぐそばに小屋が建っています。大丈夫か?!

               フンボルト海流(ペルー海流)
 南極海から流れ込む寒流であり、ペルー沖を北上し、南赤道海流に合流している冷たい海流です。
 このため海流沿いにあるペルーは気温が下がって乾期となります。 そして海岸近くにあるナスカ地方は年間2o程の降雨量のためナスカの地上絵は永年保護されてきたと言われています。

          続フンボルト海流(ペルー海流)
 ここでフンボルト海流の名づけ親の「アレクサンダー・フォン・フンボルト」について紹介します。
 アレクサンダー・フォン・フンボルトは1769年(明和六年、江戸時代中期)にドイツ北方のプロイセン王国のプロイセン貴族の家に生まれて、ドイツの博物学者兼探検家、地理学者でスペイン首相の後援を受けて世界探検へと旅立たった探検家で地理学者でした。
          フンボルト・ペンギンの名付け親でもある
 フンボルト海流が流れ込む南アメリカの沿岸地域に生息するフンボルト・ペンギンも彼が南米を探検した時に名づけられました。

 彼は膨大な研究成果をまとめるためにパリに居を定めた。この頃になると、彼の名声はヨーロッパ中に轟き、ナポレオンに次いで有名な人物とも言われた。
 しかし彼は生涯独身で男性の友人が多かったそうです。
              出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

                         天災など災害のない国かも?
 崖の土を見ると石と泥が混じった普通の崖です。
 海岸線は永年波により浸食されここまで後退してきたのでしょうがペルーの海岸はほとんどがこのような地形です。
 これは先にも述べたように冷たい南極海から流れ出すフンボルト海流が他の同緯度の地域の海水よりも7-8℃も冷たいため水蒸気の発生が少なく、蒸発しても上空で雨にならず雲のまま停滞するため、うす曇の日照が少ない安定した気候が続くのだそうです。 このため雨が少なくがけ崩れはほとんど起きないそうです。

コスタ・ベルデの丘の上に高層近代ビルがそびえています

食事時ですがモールはガラ空きでした

 

T−18

冷たくて寒いフンボルト海流が流れる崖の上のレストランで昼食

果物類でイッパイのサラダ  アボガド、トマト、ベタラガ(紫色の野菜)

クスコビールが2ドル  横の飲み物はチャケ・モラーダ

ピスコ(Pisco)
葡萄から作られた蒸留酒のこと。何年も寝かせた上質のものは、ストレートで飲んでもおいしい。
これにガムシロップやレモン汁などをカクテルしてピスコ・サワー

チチャ・モラーダ(ChichaMorada)
紫色トウモロコシをつぶして発行させたビールとワインの中間のような味がする飲み物
色がきれい

 

Tー19

現地で発掘した黄金や武器を
展示する施設「黄金博物館」

館内に入ると1階は武器の博物館になっていて中世の甲冑、日本の鎧兜、日本刀などが並んでいる。
地階にはモチーカ文化やチムー文化の所蔵品が展示されているがインカ時代のものは無い

モンテリコ地区、ユーカリの木立に囲まれた住宅地の一角にあります。
実業家個人が収集(盗掘の噂あり?)した、金を中心とした展示物が置かれています。

ガイドさんは土産物の斡旋もしているので忙しい!

不気味な展示品               
名前は黄金博物館ですが展示物には石器や土器、青銅器が多い。
ミイラも展示されており赤ちゃんを抱いた女性のミイラ、サボテンのとげで口を閉じられた捕虜のミイラなどもあった。
またミイラには手術痕のある頭蓋骨や変形された頭蓋骨が展示されていた。

園内には休憩所や土産物ショップがイッパイ
何故か古風な野砲もありました

館内は撮影はダメ

館内の展示物は近郊の古い墓から出た「ミイラ」や黄金の埋葬品ばかりで気味が悪かった!

1階の武器展示品は西洋の中世の甲冑、日本の鎧兜、日本刀などが並んでいる。
地階にはモチーカ文化やチムー文化の所蔵品が展示されているがインカ時代のものはない。

1Fは武器類展示。2Fはインカ古来の織物展示。地階は金庫構造の黄金展示物
地上にあった金目のものは全部スペイン人は持っていてしまったが地下に埋まっていた墓だけは残ったそうです。

アンデス文明

アンデス文明
アンデス文明は南米の西海岸沿い南北に約4千kに亘り栄えた文明です。
アンデスは「段々畑」の”アンデネス”が語源と言われています。
(出典はCBC放送「THE世界遺産・インカ之すべて」SONY提供より)

全長4万キの「インカ道」
南北4千キロ、1000万人で文字もなく鉄工技術も車輪利用もなく過酷な自然環境の中
わずか50年で国家を統一したのは地球一周分4万kmの「インカ道」と言われる道路網が鍵でした。
(出典はCBC放送「THE世界遺産・インカ之すべて」SONY提供より)

館内は撮影禁止なので入館の時もらった
パンフレットから画像を載せました。

キープ

キープ
縄を束ねた情報の記録で縄の色・結び目の数や形によって物語や詩なども表すことが出来た。
(出典はCBC放送「THE世界遺産・インカ之すべて」SONY提供より)

葦で編んだもので5千年前の遺跡からも出土しています
(出典はCBC放送「THE世界遺産・インカ之すべて」SONY提供より)

構内の御土産店は観光地値段で地元よりも高いホテルよりも、まだ高かった。

金製品は全員見るだけ
土産ショップには館内の展示物を模った金製のアクセサリーは高価な値段な上
埋葬者が身に着けていた物のレプリカですから日本人の感性にはあまり合いません。

個人経営の博物館
博物館の見学を終えても全員あまり感動なく園内をブラブラ

ここで買った土産は「日本語の案内書」とメードインPERUのアルパカ(ALPACA)製マフラー

「ペルー発見」16ドル(Hotelでは25ドル)

この「アルパカ製」の安くて本物
(水に浸けても水をはじいて浮き上がり水が沁みません)
アルパカのマフラー5ドル(500円)
軽くて水は吸わなくて日本では1万円以上でした。

日本から25時間旅の疲れも出て、夜中に到着し睡眠時間も短く
時差ボケもあり全員早々にホテルへ戻りました

2日目はインカ帝国の首都クスコヘ

                

このHPはmoriy@シルバーが旅行した当時の記録です。
その後、現地の状況などが変わっています。
旅行の参考にしてくださる時は他の方法でも確認して、お出かけ下さい。