3日目は世界遺産謎の空中都市マチュピチュへ
マチュピチュの主要箇所を「宮中都市マチュピチュ」の地図と座標で案内する項目を添付しました。
下図の「MAP」と「要所ポイント名」で案内します |
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参考 座標下図の「A・1 |
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ではご案内を開始します。
V-1 | クスコから列車で140km(3時間半) マチュピチュまでは半日の旅 |
クスコから140km
標高3,360mのクスコから4回スイッチバックを繰り返し峠を越えウルバンバ川沿いに下り
マチュピチュの麓のアグアス・カリエンテス駅(標高1,800m)まで140km、3時間半の列車の旅です。
クスコからマチュピチュまで140km |
クスコの空港にあったポスター |
クスコからオリヤンタイタンボまでのルート
クスコ(Cuzco)からウルバンバ川のオリャンタイタンボ(Ollantaytambo)までは4回のスイッチバックで峠を越え |
オリヤンタイタンボからマチュピチュまでのルート
オリャンタイタンボ(Ollantaytambo)からkm88駅ーkm104駅ーマチュ・ピチュ(MachuPicchu)まで全行程140kmを3時間半かけて走ります。 インカ道 途中「km88駅」からマチュピチュまでインカ道を3泊4日で歩く「インカ・トレイル・ルート」も欧米人には人気があります。 短距離の「km104駅」から1日コースも多くのトレッキンガーに人気だそうです。 |
V-2 | ホテル 起床はAM4:00 |
マチュピチュ見物は強行軍
起床:4時 食事:5時前 駅までバス出発:5時半 クスコ・サンペドロ駅出発:6時(車中約4時間)
マチュピチュ麓アグアス・カリエンテス駅着:10時 バスで30分 マチュピチュ改札口:10時半 (起床から到着まで5時間半)
マチュピチュ見物時間は 4時間!
マチュピチュ頂上バス停出発:13時 マチュピチュ・アグアス・カリエンテス駅:14時半発 クスコ・サンペドロ着:19時半
着替えてレストランへ:20時 ショーを見て食事終了:22時頃 就寝23時過ぎ(実働約18時間)
今朝も4時起床 |
早朝の食事はマチュピチュ見物グループだけのようですぅ |
早朝のため食欲はないが今日も強行軍のため無理矢理食べる 今日は起床から就寝まで20時間の日程です |
さ〜天空の都市マチュピチュへ出発!
バスの出発は5時半 |
サン・ペドロ駅まで10分で到着 |
ガイドの亀川さんも眠そう |
他のグループも大勢います |
アグアス・カリエンテス駅まで44.63ドル(約5千円) |
先頭車両のA号車 |
切符ははさみを入れるのではなくフエルトペンで大きく斜線を入れる |
V-3 | クスコ発車はAm6:00 終点は「ブエンテ・ルイナス」駅 |
発車は6:00 一路マチュピチュへ
PERURAIL(ペルー鉄道) |
クスコ市街の周りの山を越しながら140km |
車両は高級展望車なのに暖房が無い!寒い!! |
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民家の屋根には十字架と動物の守り神 |
列車は4回スイッチバックを繰り返し山を登り切ります |
列車はスイッチバックを4回繰り返しながら標高差1.700mを昇ります
一気にクスコの街が見下ろせるところまで登りました。 |
この付近が標高約4千mです。 遠くに見えるのはアウサンガテ山(6千m級)が見えます |
6:40ころ峠を越すと列車は大きくカーブして山を下り始めます |
V-3-A | 峠超え(標高約4千m) |
ウルバンバ川に沿ってマチュピチュまで |
列車は豪華ですが暖房が効きません |
V-3-B | ポロイ駅でタクシー停車 |
クスコのサン・ペドロ駅を発車して45分で単線のため退避停車しました |
スイッチバックとタクシー |
再び列車はマチュピチュ目指してゆっくりと進みます
この辺りは線路も直線で車窓の外を流れるウルバンバ川の流れも緩やかです。 |
V-3-C | ウルバンバ川とサルガンタイ山 |
ウルバンバ川に沿って下り標高2300mまで降ります |
サルガンタイ山(標高6284m) だそうです |
朝食(7時頃)
7時頃、軽食が出ました サンドイッチと果物、ケーキ |
ホテルで食べて来たばかりで食慾がありません |
V-3-D | ウルバンバ駅で退避停車? |
8時20分頃 ウルバンバ駅停車 |
ハイラム・ビンガム号 |
此の駅もプラットホームが無く側路が日向ぼっこの場所 |
赤茶けた山肌が迫ります標高は3千mくらいか? |
身体が暖かくなり、やっと打ち解けて国際交流が始まりました |
お土産売りがやってきました |
途中からの乗客は線路を歩いてくる人もありました |
急峻な周りの山々がだんだん迫ってきます。 この辺りトンネルも多いが車内灯を点けないため車内は真っ暗になります |
V-3-E |
「Km82」駅 通過 |
インカ道トレッキング出発点「km82駅」
駅名の由来は簡単、クスコ(サンペドロ駅)から82kmの駅という意味らしい
マチュピチュまで3泊4日のトレッキング・コース |
V-3-F |
「Km88」駅 も通過 |
km88駅(キロメトロ・オチェンタイオーチョ) |
金と時間と体力に余裕が必要なインカ道 |
インカ道 |
石畳で山道でも早く走れるようにしてインカ帝国の情報を早く伝え地道です |
早く走れるように急な坂道も石段が整備されています |
列車内で買ったベスト
列車内で買ったベスト(35ドル=約4千円) |
沿線各所にインカの石積が見えます。(段を結ぶ石段が見えます)
車窓には幾つかの遺跡が |
川の崖の上のインカの砦跡 |
こんな急峻な山肌に送電鉄塔を建て送電線を張るのは大変! |
鉄道の勾配がきついのか気動車は精一杯の馬力でウルバンバ川に沿って走ります |
車窓のすぐ近くをインカの遺跡が過ぎていきます |
V-3-G |
「Km104」駅 も通過 |
「KM104]駅 |
山の中腹にも遺跡が見えてきました |
麓には住居地区と耕作地区のあるトロントイ遺跡が見えます |
川沿いに家が建っています。終点のアグアス・カリエンテスです。
いよいよ終点アグアス・カリエンテス駅着です |
川沿いに家が建っています。終点のアグアス・カリエンテスです。 |
V-3-H |
終点「アグアス・カリエンテス」駅着 |
終点駅「ブエンテ・ルイナス」にはプラットホームが無く、ステップで地面へ降ります。 |
改札も柵も案内板もない |
続いて狭い階段を登ります。 |
上から見るととても狭い場所にレールが引いてあります |
2015年には上の広場が「アルマス広場」となりインカ帝国代皇帝「パチャクテイ」像が立って (2002年6月のマチュピチュ駅上の広場) |
橋を渡って土産物屋のテントの中にあるバス乗り場へ向かいます
ふもとの町アグア・スカリエンテスの温泉 |
V-4 |
ハイラム・ビンガル道路を上り |
運賃は7ドル |
ハイラム・ビンガル道路 |
ハイラム・ビンガル坂道の「グッバイ・ボーイ」
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V-5 |
「サンクチュアリ・ロッジ」前広場到着 |
狭い駐車場はバスと観光客でごった返しています。 |
マチュピチュ・サンクチュアリ・ロッジ前広場 |
「マチュピチュ・サンクチュアリ・ロッジ」 |
朝食なしで1泊3万円の高級ホテル |
上の段に入場券販売所がありますが、写真で見たマチュピチュがすぐにみられる!わくわくしてきます |
V-6 |
「マチュピチュ遺跡」入り口 |
マチュピチュの入場料20ドル安い!? |
絶好のコース取り 愚痴こぼしのガイドも元気が出たようです |
20ドルは安い 入場料20ドルは遺跡の草取りなど自然の猛威から 遺跡を守るための管理費に使われるそうです。 |
ではマチュピチュ見物へGO!
下図の「MAP」と「要所ポイント名」で案内します
参考 |
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空中都市マチュピチュの要所ポイント |
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地図の左上をスタート 1.インカ道(右へ進むと「インカの橋」へ 2.墓場 3.葬儀の石 4.見張り小屋 5.市街地への入口(太陽の門) 6.石切り場 7.神聖な広場 8.神官の館 9.主神殿 10.3つの窓の神殿 11.インティワタナ(日時計) 12.聖なる岩(ハチャママの神殿) 13.ここにワイナピチュ登山の分かれ道がある(月の神殿)。 14.貴族の居住区(3つの入口の家) |
15.大広場 16.技術者の居住区 17.石臼 18.牢獄・コンドルの神殿・生贄の台 19.庶民の居住区 20.遺跡の入り口 21.農地管理者の居住跡 22.段々畑 23.太陽の神殿陵墓 24.女王の宮殿 25.17の水汲み場 26.聖職者の居住区 27.女王の水浴場 28.市街地の入り口 29.中心の広場 30.聖職者の水汲み場 |
見下ろすとウルバンバ川とアグアス・カリエンテス駅に停車するハイラム・ビンガル号列車が見えます |
プトゥクシ山 |
「ワイナピチュ(老いた山)」 |
早くマチュピチュの全体を見たい! やっと少しだけマチュピチュが姿を見せてくれました (最初に見えたのが25・農地管理者居住跡=帰りにここを通って登って来たのですが写真も記憶もありません) |
4.「見張り小屋」 |
「見張り小屋」入り口から200mほど来た所にあります(屋根は当時のままに復元されています) |
マチュピチュで一番最初に目に入る「見張り小屋」 |
4.「見張り小屋」の位置 |
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25.農地管理者住居跡から登ってきた道の合流点
下の方からマチュピチュを見物し終わった人たちが昇ってきます。
25.農地管理者住居跡から昇ってきた人達です
25.農地管理者住居跡から登ってきた道の合流点 |
21.「農業管理者居住跡」の位置 |
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0.「絶好のカメラポイント」 |
見えた!(絶好のカメラポイント!) |
0.「絶好のカメラポイント」の位置 |
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余 話
ハイラム・ビンガムが1911年に発見
マチュ・ピチュ(Machu Picchu)は、ペルーのウルバンバ谷に沿う高い山の尾根(標高約6,750ft=2,057m)にある遺跡。
「マチュ・ピチュ」はケチュア語で「老いた峰」を意味し、山裾からはその存在を確認できず、しばしば「空中都市」「空中の楼閣」
「インカの失われた都市」などと呼ばれています。
発見者はインディジョンズのモデル「ハイラム・ビンガム」 |
発見された当時と現在の「太陽の神殿」 |
23.「太陽の神殿陵墓」の位置 |
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気が抜けた! |
ようやく興奮が収まり記念写真を撮ってもらいました |
しばらく風景を眺めているうちに気が落ち着き、せっかく来たのだから遺跡全部を写真に収めるぞ!と思えるようになりました。
中心あたりが「6.石切り場」です。 |
6.「石切り場」 |
6、石切り場を見下ろす |
6.「石切り場」の位置 |
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目の前に「ワイナピチュ」(老いた山)が見えます。
「ワイナピチュ」 |
ワイナピチュ(標高2.743m) |
ワイナピチュ登山は予約が必要です でしたが現在2016年では1日の入場者数は2,500人に増やしたようです) |
2.「墓場」 |
この付近は「墓場」と言われている場所です。173体もの人骨が出てきたのでそう呼ばれています。
墓地と言われている付近で写真撮影と休憩 |
2・「墓場」の位置 |
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マチュピチュ遠望
遠くに6千m級の雪山が |
では市街地へ下りましょう |
少し下ると「23、太陽の神殿陵墓」の真上に差し掛かります
画面中央やや下に太陽神殿があります。太陽神殿はマチュピチュで唯一弓形(半円形)を描く建造物です。
23.「太陽の神殿 陵墓」 |
落ち着いて見ると遺跡の中には大勢いることに気づきました。 次は早くあそこへ行きたい! |
23・「太陽の神殿陵墓」の位置 |
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「見張り小屋」
先ほどの「3、見張り小屋」下まで降りてきました。 |
山腹のインカ道と峠の「太陽の門」
振り返るとマチュピチュ山の中腹にインカ道が見えます。
インカ道の先に「太陽の門」と呼ばれるマチュピチュのゲートがあります。
インカ道の峠の「太陽の門」 |
後ろの山腹に走る道はインカ全国に通うじるインカ道です |
今回行けなかった「太陽の門」と「インカの橋」
「太陽の門」 |
「インカ橋」 |
画像は「http://memubers.jcom.home.ne.jp/tabibito4」氏の「インティライミとインカの遺跡を訪ねて」からお借りしました。 |
峠のインカ道「太陽の門」 |
インカ橋への行き方(インカの橋へ行ったことのある人のメモです) インティ・プンクへと続く道の途中、「マチュピチュ山→」という矢印が石に書かれています。 |
参考 3泊4日インカ道トレッキングルート |
先ほどのクスコからの鉄道の途中駅「Km88」で下車して3泊4日のトレッキングコースです。 |
インカ道 |
石畳で山道でも早く走れるようにして皇帝の命令(情報)を早く伝えました |
インカ道は急な坂道は石段が整備されています。 |
休憩 |
一服しながらガイドの説明を聞く |
いよいよマチュピチュの市街地へ
いよいよ居住区近くへ降りてきました |
5・「太陽の門」 |
居住地区へ入る門「太陽の門」 |
5・「太陽の門」の位置 |
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マチュピチュの北側は急峻な崖です
下に河が流れているのが見えます
下に流れる川は「ウルバンバ川」です。 |
川の下流に水力発電所が見えます。
水力発電所 |
柵もありません |
階段は慎重に下ります |
空気が薄く、直射日光も強い(画面の正面が町の入り口ガイドNo。4.「太陽の門」です。) |
屋根を結ぶホゾ、下のクボミは桁受け等、造りがよく分かります |
やっと居住地区の平らな場所へ降りてきました。 |
しまったー
見張り小屋の近くを通ったのに見張り小屋からのマチュピチュとワイナピチュ写真を撮りませんでした
見張り小屋 |
4・「見張り小屋」の位置 |
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ここは8.「主神殿跡」です。ここから11.「インティワタナ(日時計)」を見上げています。
9・「主神殿」跡 |
あの高いところに「10.日時計」=(インティワタナ)があるはずです |
「10.大広場」は立ち入り禁止? |
10・「大広場」の位置 |
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居住区から見た段々畑と通称「見張り小屋」 |
9・「主神殿」の位置 |
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6・「石切り場」 |
石切り場跡 |
6・「石切り場」の位置 |
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歴史的に急いで造ったのか此のあたりの「石組」は粗雑でインカらしくないと感じました。
10.「三つの 窓の神殿」 |
三つの窓の神殿(儀式の奥にある石の壁)と手前の大台石 (手前の大きな石の説明) |
三つの窓の謎 |
クスコの街の石組みと違ってマチュピチュの石組みは粗雑です |
9.主神殿広場と |
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9・「主神殿」広場 |
主神殿 ↑「主神殿」は右側が崩れています。ガイドさんの話だと、マチュピチュ建設終盤に主神殿が崩れた不吉さを嫌って、皇帝がマチュピチュの廃棄を命じたのではないかと言っていました。 |
主神殿は10.「三つの窓の神殿」の北側にあります。 |
↑「エコーの部屋」にある精巧なつくりの飾り棚です。 |
9.主神殿の位置 |
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「主神殿」から「インティワタナ」へ向います。
登る道は急で柵も無く危険です |
途中赤い花が一株咲いていました |
初耳「マチュピチュ山」 |
マチュピチュ山(標高3,050m) |
マチュピチュ山(標高3,050m) |
(場所の説明)「インティワタナ」(日時計)から振り返ると |
11・「インティワタナ」(日時計) |
インティワタナ |
高さ1.8mの花崗岩製で日時計? ↑日時計の一番大事なとんがった部分が実は欠けて修理されています。ガイドさんの話ですと、ペルーで一番人気のビール「クスケーナ」のCM撮影時に、撮影クレーンが倒れて欠けたそうです。笑っちゃうようなお話ですね。 |
「インティワタナ」の位置 |
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下の広場へ下ります
インカの人たちは日常この危険な環境で暮らしていたのでしょうか? |
インカでわらびを見つけた |
雑草の中にワラビが |
ワイナピチュへの登山ゲート |
下の広場へ下りると全員休憩 |
見事な石積みの下を圧倒されながら歩きます
12・「聖なる岩」 |
バチャママの神殿と「聖なる岩」 |
マチュピチュ遺跡の入口から一番遠いところにある神殿 この「ワイラナ」は屋根もベンチもあることから、観光客の格好の休憩所になっています。 |
「聖なる岩」の位置 |
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ワイナピチュ |
ワイナピチュの頂上に見える遺跡まで 健脚で往復2時間 |
13・ワイナピチュ(標高2750m)の |
対岸のワイナピチュへの登山ゲート |
入場料(登山料?)は45ドルを払うと急峻な尾根道を登れます。 マチュピチュの標高は2375m、ワイナピチュの頂上は約2600メートルなので標高差200mの急峻な尾根の岩場を登ります。 時間的には片道40分〜60分程度、往復約2時間だそうです。 |
「ワイナピチュの登山ゲート」の位置 |
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以下の画像はいつだったかのテレビ画像を収録したものです
登山道は殆ど垂直に近い |
鎖やワイヤーが設置してあって安全対策は充分 |
ワイナピチュから見下ろすマチュピチュ |
ワイナピチュに登る日本人は最近多いそうです。(体力と時間とお金が出来たのでしょう) |
我々(神風ツアー)は駆け足で遺跡内を見て帰路に着きます。
急げ! 我々は15:00発クスコ行きの列車にに乗らなければ! 今12時10分、あと「石臼のある家」・「コンドルの神殿と牢獄」・「コンドルの庭」・「水飲み場」など見なければ! |
段々畑からの「市街地への入り口」 (「太陽の門」とは違う入り口です) |
ワイナピチュ近くの住居跡のゲートだったと思われます |
段々畑から「市街地への入り口」の位置 |
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X・「儀式の石」? |
儀式の石 |
屋根を止める工夫の石 |
インカの時代にモルタルがあったのか? それとも最近補修したのか?? |
ここからも見張り小屋がよく見えます |
これは何だろうか?? 突然目の前に現れた不思議建造物 |
あちらの方へ行きたいが写真を撮っているため一行から遅れてしまったので行く時間がない! |
合成してみるとその大きさが分かる。 がなんだか分からない |
疑問箇所の位置は「D・3」辺りか?
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もう今どこ辺りに居るのか分からなくなった!
14・「三つの入り口のある家」 |
多分貴族の居住区あたりをうろうろしたと思われる。
珍しい2階建ての構造だそうです。 |
位置が分からなくなった! |
屋根を支える構造が良く分かります |
屋根のわらを抑えるための丸太を縛り付けるための丸石と丸太が下へずれないようにする止め石 |
「見張り小屋」はランドマーク
どこへ来ても見張り小屋が見えるので、どの辺りに居るかが分かるはずですが?
16・「技術者の居住区」まで来てしまったようです。
17・「石臼」 |
「技術者の居住区」にある「17.石臼」のある家まで来たようです。
技術者の居住区にある家の「石臼」 |
石臼についての諸説 |
17.「石臼」の位置 |
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グループの仲間も飽きてきたのかどんどん足が速くなる 写真に収める時間も少なくなる!
ウルバンバ川の見下ろすと帰りの列車が待っている |
一枚岩で造った階段 |
もう石積みは見飽きた感じ 仲間の足が一段と速くなります。
18・「コンドルの神殿と牢獄」 |
コンドルの神殿と牢獄 |
コンドルの神殿は神聖な儀式が行われた場所ではないかといわれています。 またコンドルの石の奥の部分からミイラがでてきたことからマチュピチュを世界に発表したハイラム・ビンガムはこの場所を牢屋だったと 分析しました。 柵に囲まれた部分に生贄をささげて儀式をしたといわれ、コンドルのくちばしの部分の石に生贄の血をたらしたとか、チッチャ(トウモロ コシから作るお酒 ) を供えたと言われています。 コンドルの神殿の奥の底の部分は斜めになっており、その部分には犯罪者をつなぎとめる綱を結ぶためにあったといわれています。 |
牢獄の入り口 |
「コンドルの神殿と牢獄」の位置 |
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ランドマークの見張り小屋
最後はあそこの地点まで登らなくてはインカ道へ出て帰られません
4.「見張り小屋」22.「段々畑」 |
「農地管理人の居住跡」 |
アンデネス(段々畑)と建物 |
北に面した畑(北半球の日本と違い北が日当たりのいい方) |
大分くたびれてきた!皆よく歩けるな!感心しました。 |
22.「段々畑」の位置 |
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24.「女王の宮殿」27.「女王の水浴場」 |
「17の水汲み場」 |
水汲み場は「女王の宮殿」の横あたりから下流へ各階級により使用する場所が決められていたようです。 |
あと少しガンバルぞ!
水飲み場は全部で17ヶ所あります |
水汲み場 マチュピチュはウルバンバ川から400mも登ったところになぜ造ったかというと、ここには最初から水が沸いてくる場所があったからなのではないでしょうか。 街を造るときどこからか水を引いてきたと思うと疑問が沸いてきますが、最初か水が出いたところに都市を造った! この水はマチュピチュの正面にあるワイナピチュから流れてくる水といわれています。 このように絶えず水が流れてくるのは非常に不思議に感じます。 水汲み場は10以上あり、(17という説明書もあります)、上の水ほど高貴な人が使っていたと言われています。 |
25.17の水汲み場27.「女王の水浴場」の位置 |
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23・「太陽の神殿」 |
太陽の神殿 |
塔とも呼ばれています 中には入ることができませんが、美しい曲線を石で表現するというインカの石組みの技術を見ることができます この下には陵墓と呼ばれるミイラを安置していたのではないかという場所があり、 歴代の王のミイラがまるで生きているときのように扱われていたといわれています。 インカの歴代の王のミイラは政治にも影響を及ぼした上、 このミイラの維持費が莫大にかかるためインカ帝国は頭を悩ましたといわれてます。 |
太陽の神殿の横へ回ってみましたが構造がよく分かりません |
太陽の神殿と神官が祀りを行う想像図 |
「太陽の神殿」の位置 |
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マチュピチュ見物を始めてから2時間10分階段の登り下りで疲れてきました。
仲間も帰ることに決めたようでどんどん下ります
こうして振り返るとまだまだ見てないところが沢山ありました。残念ですが仕方ない!帰ることにしました |
もう2度と来ることのない、もう二度と見ることのできない景色をカメラに収めました。 |
出口のゲート |
畑の中の道を歩くと出口のゲートが見えてきます。 |
ゲート脇に2枚の銘盤が埋め込まれています
マチュピチュ世界遺産指定 |
マチュピチュ発見者ハイラム・ビンガム イェール大学ペルー探検隊を組織して、ペルーへ入る。そして1911年7月24日、マチュ・ピチュを発見。 |
最後にもう一度空中都市マチュピチュを振り帰り目に焼き付けました。
夕暮れのマチュピチュ |
「マチュピチュ遺跡入場ゲート」 |
マチュピチュ遺跡入場ゲートにあるマチュピチュ・サンクチュアリー・ロッジは温泉プールもあるかなり高級ホテルです。 |
バスに乗って13折れの道を下って麓のアグアス・カリエンテス駅へ
グッバイ・ボーイ
マチュピチュから麓のアグアス・カリエンテスに下るバスでいきなり乗車して「 グッバイー 」と大きな声で叫び、それから下車し、
バスがくねくねと折り返しながらアグアスカリエンテスまで下る途中道端で、「グッバイー」と叫び、次の折り返した道の途中でも手を振る
最初は気が付きませんが最後は車内全員が車内から手を振り返すようになりました。
最後にグアスカリエンテスに着いあとバスに乗り込んできて「グッバイー」と叫び、チップをもらう少年たちのこと。
マチュピチュ名物だったのですが、
最近は村長がかわり、学校にもいかず働くのはよくないという理由で現在は禁止されているようです。
画面はかってのマチュピチュ村の画像に戻ります
「ブエンテ・ルイナス駅」 |
当時は線路脇に家が立ち並び食堂等が並んでいました プラットホームは1mほどの段差があるだけでした。 帰路の列車が出るまでに昼食と買い物 |
駅の片側はお土産屋 |
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駅の上の広場にテントの売店が人気があります |
マフラー5枚で45ドル(1枚=900円 大変お値打ちでした) |
ウルバンバ駅で退避停車 |
マチュピチュ駅からクスコへ戻ります |
車内でフアションショー・サービス |
列車が出発してしばらくすると気味の悪い祭りの衣装からショーの始まりです |
帰りは登り坂が続くので30分多く4時間かかります。 |
揺れる列車での一生懸命さに応えてショールを買いました(95ドル=1万円) | |
ショーを見ているうちに外も暗くなり「ポロイ駅」で待機停車
ポロイ駅でタクシー停車 |
ここで急いでクスコの町へ帰る人(お金のある人)は下車してタクシーでクスコへ
単線のため待機停車かと思いましたがすれ違う列車は来ませんでした。 |
「クスコの夜景」 |
クスコの夜景が綺麗でしたが 夜景が楽しめるよう車内灯は消してくれます。クスコヘは予定通り19:00に着きました |
19:20頃ホテルへ帰り、着替えをしてレストランへ出発は19:40
「サンペデロ駅」広場到着 |
治安が悪いので短い距離でも移動はバスで |
クスコへ到着 |
天空の世界から現実の世界へ |
内部の装飾も音楽もスペイン風(インカ風ではない)で出迎えてくれました |
アンデス音楽を聞きながら演奏と踊りのディナー |
インカの踊りが始まりました |
最初はスペイン風と感じましたが、これがインカ文化だと気づきました |
料理はジャガイモとトマトが主流の料理でした |
音楽と踊りで今日の疲れも癒されました |
クスコで有名なビール「クスケーニャ」 |
約3時間の食事でした |
三日目は早朝4時から就寝23時まで19時間の強行軍のマチュピチュ見物が終了しました。
明日、4日目は「クスコ」からチチカカ湖のある「プーノ」へ
このHPはmoriy@シルバーが旅行した当時の記録です。
その後、現地の状況などが変わっています。
旅行の参考にしてくださる時は他の方法でも確認して、お出かけ下さい。