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3日目は世界遺産謎の空中都市マチュピチュへ

          

 マチュピチュの主要箇所を「宮中都市マチュピチュ」の地図と座標で案内する項目を添付しました。

下図のMAP」と「要所ポイント名で案内します

参考  座標下図のA・1

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A

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空中都市マチュピチュの要所ポイント

地図の左上をスタート
 1.インカ道(右へ進むと「インカの橋」へ
 2.墓場
 3.葬儀の石
 4.見張り小屋
 5.市街地への入口(太陽の門)
 6.石切り場
 7.神聖な広場
 8.神官の館
 9.主神殿
10.3つの窓の神殿
11.インティワタナ(日時計)
12.聖なる岩(ハチャママの神殿)
13.ここにワイナピチュ登山の分かれ道がある(月の神殿)。
14.貴族の居住区(3つの入口の家)
 15.大広場
 16.技術者の居住区
 17.石臼
 18.牢獄・コンドルの神殿・生贄の台
 19.庶民の居住区
 20.遺跡の入り口
 21.農地管理者の居住跡
 22.段々畑
 23.太陽の神殿陵墓
 24.女王の宮殿
 25.17の水汲み場
 26.聖職者の居住区
 27.女王の水浴場
 28.市街地の入り口
 29.中心の広場
 30.聖職者の水汲み場

ではご案内を開始します。

V-1 クスコから列車で140km(3時間半)
マチュピチュまでは半日の旅

クスコから140km
標高3,360mのクスコから4回スイッチバックを繰り返し峠を越えウルバンバ川沿いに下り
マチュピチュの麓のアグアス・カリエンテス駅(標高1,800m)まで140km、3時間半の列車の旅です。

クスコからマチュピチュまで140km

クスコの空港にあったポスター
大まかにクスコ(Cuzco)とマチュ・ピチュ(MachuPicchu)の位置関係がわかります。
ウルバンバ川(UrubamboRiver)に合流してからオリヤンタイタンボ(Ollantaytambo遺跡)の次に
マチュピチュまで3泊4日のインカトレイル(IncaTrail)ルートが赤の点線で書いてあります

クスコからオリヤンタイタンボまでのルート

クスコ(Cuzco)からウルバンバ川のオリャンタイタンボ(Ollantaytambo)までは4回のスイッチバックで峠を越え
ウルバンバ川に合流したあと川に沿ってマチュピチュまで下ります。

オリヤンタイタンボからマチュピチュまでのルート

  オリャンタイタンボ(Ollantaytambo)からkm88駅ーkm104駅ーマチュ・ピチュ(MachuPicchu)まで全行程140kmを3時間半かけて走ります。
 インカ道
 途中「km88駅」からマチュピチュまでインカ道を3泊4日で歩く「インカ・トレイル・ルート」も欧米人には人気があります。
 短距離の「km104駅」から1日コースも多くのトレッキンガーに人気だそうです。
V-2 ホテル 起床はAM4:00

マチュピチュ見物は強行軍
起床:4時  食事:5時前  駅までバス出発:5時半  クスコ・サンペドロ駅出発:6時(車中約4時間)
マチュピチュ麓アグアス・カリエンテス駅着:10時  バスで30分 マチュピチュ改札口:10時半 (起床から到着まで5時間半) 

マチュピチュ見物時間は 4時間!

マチュピチュ頂上バス停出発:13時  マチュピチュ・アグアス・カリエンテス駅:14時半発  クスコ・サンペドロ着:19時半 
 着替えてレストランへ:20時  ショーを見て食事終了:22時頃  就寝23時過ぎ(実働約18時間)

今朝も4時起床

早朝の食事はマチュピチュ見物グループだけのようですぅ

早朝のため食欲はないが今日も強行軍のため無理矢理食べる

今日は起床から就寝まで20時間の日程です

さ〜天空の都市マチュピチュへ出発!

バスの出発は5時半

サン・ペドロ駅まで10分で到着

ガイドの亀川さんも眠そう

他のグループも大勢います

アグアス・カリエンテス駅まで44.63ドル(約5千円)

先頭車両のA号車

切符ははさみを入れるのではなくフエルトペンで大きく斜線を入れる

V-3 クスコ発車はAm6:00 
終点は「ブエンテ・ルイナス」駅

発車は6:00 一路マチュピチュへ

PERURAIL(ペルー鉄道)

クスコ市街の周りの山を越しながら140km

車両は高級展望車なのに暖房が無い!寒い!!

民家の屋根には十字架と動物の守り神

列車は4回スイッチバックを繰り返し山を登り切ります

列車はスイッチバックを4回繰り返しながら標高差1.700mを昇ります

一気にクスコの街が見下ろせるところまで登りました。
(住宅の周りにはコカ茶=コカインの葉が植えてあります。)

この付近が標高約4千mです。 遠くに見えるのはアウサンガテ山(6千m級)が見えます

6:40ころ峠を越すと列車は大きくカーブして山を下り始めます

V-3-A  峠超え(標高約4千m)

ウルバンバ川に沿ってマチュピチュまで
外には霜が降りています。 車内は少し暖かくなりました
列車は標高4000mからマチュピチュ2300mまで下ります

列車は豪華ですが暖房が効きません
車掌も外套を着てました。

V-3-B  ポロイ駅でタクシー停車

クスコのサン・ペドロ駅を発車して45分で単線のため退避停車しました

スイッチバックとタクシー
駅名は「ポロイ駅」 売店も何もない殺風景な駅です。ここで数人の日本人が乗ってきました。 
ガイドの話ではクスコのサン・ペドロ駅で列車に乗り遅れタクシーでここまで追っかけてきた人達だそうです
これも列車がクスコから峠までスイッチバックを4回も繰り返してゆっくり登ることを知っているガイドのお蔭で出来る芸当かもしれません

再び列車はマチュピチュ目指してゆっくりと進みます

この辺りは線路も直線で車窓の外を流れるウルバンバ川の流れも緩やかです。

V-3-C  ウルバンバ川とサルガンタイ山

 ウルバンバ川に沿って下り標高2300mまで降ります

サルガンタイ山(標高6284m) だそうです

朝食(7時頃)

7時頃、軽食が出ました  サンドイッチと果物、ケーキ

ホテルで食べて来たばかりで食慾がありません

V-3-D  ウルバンバ駅で退避停車?

8時20分頃 ウルバンバ駅停車
2回目の停車駅は暖かい陽射しがあり全員外へ出て日向ぼっこ

ハイラム・ビンガム号
明るくなって気づきましたが列車の名前はマチュピチュの発見者の「ハイラム・ビンガム号」

此の駅もプラットホームが無く側路が日向ぼっこの場所

赤茶けた山肌が迫ります標高は3千mくらいか?

身体が暖かくなり、やっと打ち解けて国際交流が始まりました

お土産売りがやってきました
我々日本人はさっそくお土産売りに反応しました

途中からの乗客は線路を歩いてくる人もありました

急峻な周りの山々がだんだん迫ってきます。 この辺りトンネルも多いが車内灯を点けないため車内は真っ暗になります

V-3-E

 「Km82」駅 通過

インカ道トレッキング出発点「km82駅」
駅名の由来は簡単、クスコ(サンペドロ駅)から82kmの駅という意味らしい

マチュピチュまで3泊4日のトレッキング・コース
この駅で下車し、このつり橋を渡って昔からあるインカ道を通ってマチュピチュまで3泊4日で行きます。
橋の上の人も3泊4日に挑戦(いや楽しむのかな)。せっかちな日本人には無理なルートです。

V-3-F

 「Km88」駅 も通過

km88駅(キロメトロ・オチェンタイオーチョ)
ちょっと変わった名前の付け方ですがこの辺りには集落が無く地名も無かったのでこんな名前にしたのでしょう。
次の駅名はkm104駅、マチュピチュまでに8つの遺跡を見て登ります。
勿論途中に宿泊施設もあり3泊4日ツアーはヨーロッパー人・アメリカ人などに人気があるそうです

            金と時間と体力に余裕が必要なインカ道
 この駅の標高が2288mだそうです。これからマチュピチュまでには4128mの峠を越え、4か所ある山小屋か8か所あるテント場で泊り8か所の遺跡を巡りマチュピチュに着きます。
 各駅を下りるとチェックポイントがあり、あらかじめ予約しておいたガイド(2名)と利用料金を払わないとインカ道は利用できない
 また終点のマチュピチュの遺跡脇には温泉のある豪華ホテルがありますが日本人はとんぼ返りでクスコへ帰るため利用はないそうです。

インカ道
道はマチュピチュまで続きます

石畳で山道でも早く走れるようにしてインカ帝国の情報を早く伝え地道です

早く走れるように急な坂道も石段が整備されています

列車内で買ったベスト

列車内で買ったベスト(35ドル=約4千円)
背中にマチュピチュの絵があります

沿線各所にインカの石積が見えます。(段を結ぶ石段が見えます)

車窓には幾つかの遺跡が
インカの石垣石に差し込んだ階段が特徴

川の崖の上のインカの砦跡

こんな急峻な山肌に送電鉄塔を建て送電線を張るのは大変!

鉄道の勾配がきついのか気動車は精一杯の馬力でウルバンバ川に沿って走ります
山と崖に挟まれた狭い鉄道線路は岩盤が堅いのか石垣などで擁護がしていない

車窓のすぐ近くをインカの遺跡が過ぎていきます

V-3-G

 「Km104」駅 も通過

「KM104]駅
「ようこそインカ・トレールへ」の看板
吊橋を渡った上には宿場があり、ここからインカ道に合流してマチュピチュへ日コースのトレッキングができます。
先ほどの駅で降りたグループも3泊目はここで泊り最後の半日はここからマチュピチュまでスタートです。

山の中腹にも遺跡が見えてきました

麓には住居地区と耕作地区のあるトロントイ遺跡が見えます

川沿いに家が建っています。終点のアグアス・カリエンテスです。

いよいよ終点アグアス・カリエンテス駅着です

川沿いに家が建っています。終点のアグアス・カリエンテスです。

V-3-H

 終点「アグアス・カリエンテス」駅着

終点駅「ブエンテ・ルイナス」にはプラットホームが無く、ステップで地面へ降ります。
(最近の情報によるとこの駅は使われいないそうです。新しい駅が出来たのか?)

改札も柵も案内板もない
列車と民家の狭い通路を人の流れに従って出口へ向かいます

続いて狭い階段を登ります。

上から見るととても狭い場所にレールが引いてあります
(最近観光客が激増したため新しい駅舎を建てる計画があるそうです)

2015年には上の広場が「アルマス広場」となりインカ帝国代皇帝「パチャクテイ」像が立って
周りにはホテルや土産物店などがギッシリと建っています。

(2002年6月のマチュピチュ駅上の広場)
上へ上がると少し広い場所へ出てホットしました
右端に写る男性が当日のガイド(日本へ留学していて日本が解かる)

橋を渡って土産物屋のテントの中にあるバス乗り場へ向かいます

ふもとの町アグア・スカリエンテスの温泉
アグアスカリエンテスからマチュピチュまではバスで山のくねくねした道を20分ほど登ります。
アグアスカリエンテスという名前は、アグアスとはスペイン語で(水)、カリエンテスとは(熱い)です。
その名の通り、温泉が出るところなのですが温泉の湯温は低く日本人好みとはいきません。。
アグアスカリエンテスの温泉 営業時間 時間 : 05:00〜20:30 入場料 :5 soles=約180円

V-4

 ハイラム・ビンガル道路を上り
マチュピチュ遺跡へ

運賃は7ドル
バスで約20分くねくね道を登ります

ハイラム・ビンガル道路
マチュピチュまでの標高差400mを13の折り返しで登ります。(地元のパンフレットより)

ハイラム・ビンガル坂道の「グッバイ・ボーイ」

                  ハイラム・ビンガル坂道
 麓のマチュピチュ駅(標高2000m)からつづら折りの坂道を昇りマチュピチュ遺跡の入り口(標高2400m)まで昇る
この坂道に2000年当時グッバイ・ボーイがいました。

 マチュピチュ入り口広場から帰りのバスが出発すると、「グッバイ・ボーイ」はバスが折り返す坂道の中間めがけて山の木々の間をめがけて走り下ります。

道は険しく木や草が少し少ない程度の崖に近い道を走り下ります

つずら折りの坂道をバスが折り返す間にバス道へ出て通り過ぎる
バスに「グッバイ」と声を掛けます

再びショーカットの崖道を走り下ります。

そしてバスに手を振り「グッバイ」と叫びます
この頃やっとバスの乗客は少年の存在に気づきます。

そして次にバスが折り返してきたときに乗客は「グッバイボーイ」に
チップを渡すようになります

そして2015年の「グッバイボーイ」は現在28歳となり
村の警備員をしているそうです

これらの画像は2015・11・22に「TBS系列のCBC」テレビの
「放送20周年SPあの世界遺産は今」という番組で放送された画面から
収画したものです。
V-5

 サンクチュアリ・ロッジ」前広場到着

狭い駐車場はバスと観光客でごった返しています。

マチュピチュ・サンクチュアリ・ロッジ前広場
高級ホテル間に居ると我々日本人も現地の集団みたい

 マチュピチュ・サンクチュアリ・ロッジ

朝食なしで1泊3万円の高級ホテル
上の段に入場券販売所がありますが、写真で見たマチュピチュがすぐにみられる!わくわくしてきます
V-6

「マチュピチュ遺跡」入り口

マチュピチュの入場料20ドル安い!?
高山病の救護所もあるようです。 遠くにワイナピチュの頂上も見えてきました

絶好のコース取り

愚痴こぼしのガイドも元気が出たようです
しかし、このコース取りは絶品です。麓からずーとマチュピチュの姿は全然見せず、わくわく度を増幅させます

20ドルは安い
入場料20ドルは遺跡の草取りなど自然の猛威から
遺跡を守るための管理費に使われるそうです。

ではマチュピチュ見物へGO!

下図の「MAP」と「要所ポイント名」で案内します

参考
座標下図のA・1

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中都市マチュピチュの要所ポイント

地図の左上をスタート
 1.インカ道(右へ進むと「インカの橋」へ
 2.墓場
 3.葬儀の石
 4.見張り小屋
 5.市街地への入口(太陽の門)
 6.石切り場
 7.神聖な広場
 8.神官の館
 9.主神殿
10.3つの窓の神殿
11.インティワタナ(日時計)
12.聖なる岩(ハチャママの神殿)
13.
ここにワイナピチュ登山の分かれ道がある(月の神殿)。
14.貴族の居住区(3つの入口の家)
 15.大広場
 16.技術者の居住区
 17.石臼
 18.
牢獄・コンドルの神殿・生贄の台
 19.庶民の居住区
 20.遺跡の入り口
 21.農地管理者の居住跡
 22.段々畑
 23.太陽の神殿陵墓
 24.女王の宮殿
 25.17の水汲み場
 26.聖職者の居住区
 27.女王の水浴場
 28.市街地の入り口
 29.中心の広場
 30.聖職者の水汲み場

 

見下ろすとウルバンバ川アグアス・カリエンテス駅に停車するハイラム・ビンガル号列車が見えます

プトゥクシ山
対岸のワイナピチュの隣の低い山、この低い山(プトゥクシ山)の上にも遺跡があるように見えます

 「ワイナピチュ(老いた山)」

早くマチュピチュの全体を見たい!
やっと少しだけマチュピチュが姿を見せてくれました
(最初に見えたのが25・農地管理者居住跡=帰りにここを通って登って来たのですが写真も記憶もありません)

 4.「見張り小屋」

「見張り小屋」入り口から200mほど来た所にあります(屋根は当時のままに復元されています)
マチュピチュで見る最初の遺構で印象に残る画像です

マチュピチュで一番最初に目に入る「見張り小屋」
インカ全土に通じていたインカ道の入り口を見張る「見張り小屋」が見えてきました
(ここから小屋の横を登ってマチュピチュ一番の絶景ポイントへ!)

.「見張り小屋」の位置
座標下図のA・4

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25.農地管理者住居跡から登ってきた道の合流点

下の方からマチュピチュを見物し終わった人たちが昇ってきます。
25.農地管理者住居跡から昇ってきた人達です

25.農地管理者住居跡から登ってきた道の合流点
早くあのポスターなどで有名なマチュピチュの全貌が見えるポイントへいきた行きたいので焦ります

21.「農業管理者居住跡」の位置
座標下図の「A・2

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 0.「絶好のカメラポイント」

見えた!(絶好のカメラポイント!
これです、日本で見かけるポスターがこのアングルです。 この場所に来たいために頑張りました。

 0.「絶好のカメラポイント」の位置
座標下図の「AB・12

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余 話
ハイラム・ビンガムが1911年に発見

 マチュ・ピチュMachu Picchu)は、ペルーのウルバンバ谷に沿う高い山の尾根(標高約6,750ft=2,057m)にある遺跡。  
 「マチュ・ピチュ」はケチュア語で「老いた峰」を意味し、山裾からはその存在を確認できず、しばしば「空中都市」「空中の楼閣」
「インカの失われた都市」などと呼ばれています。                                             

         発見者はインディジョンズのモデル「ハイラム・ビンガム」
1908年、サンティアゴで開催された全米科学者会議に代表として出席。その帰路で、古いスペイン貿易ルートを探検し、ペルーに立ち寄る。そこでオリャンタイタンボ(Ollantaytambo)というインカ時代の都市を見学して強い興味を覚える。1911年、イェール大学ペルー探検隊を組織して、ペルーへ入る。そして同年の7月24日、マチュ・ピチュを発見。(ウイズベキアから)

発見された当時と現在の「太陽の神殿」

23.「太陽の神殿陵墓」の位置
座標下図の「B・2

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気が抜けた!
写真を撮ったとたんに、これで終わったような気になり気が抜けて写真を撮るのも忘れてしまいました。
(折角来たのに、ここでの写真はこの2枚のみでした)

ようやく興奮が収まり記念写真を撮ってもらいました

しばらく風景を眺めているうちに気が落ち着き、せっかく来たのだから遺跡全部を写真に収めるぞ!と思えるようになりました。

中心あたりが「6.石切り場」です。
左下の河がウルバンバ川で標高約1,800m、マチュピチュは約2,200m、向こうのワイナピチュは2,743m
撮影地点の標高は2,3〜400mのはずです。

 6.「石切り場」

6、石切り場を見下ろす
画面の中央辺りが「石切場」らしく、この急峻な崖の上で重い石を運ぶために多くの人災があったのではないでしょうか?
現在のクレーンがある時代でもこの崖の上の仕事は大変だと思います。

.「石切り場」の位置
座標下図の「C・2

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目の前に「ワイナピチュ」(老いた山)が見えます。

 「ワイナピチュ」

ワイナピチュ(標高2.743m)
 マチュピチュの向こうにそびえる高くて急峻なワイナピチュの頂上付近にも遺跡があるようです
やはり疑問が浮かびます「なぜあんなに高い所に」 水や生活はどうやって?
往復 健脚で2時間

ワイナピチュ登山は予約が必要です
登り口はマチュピチュの一番奥(西)の「聖なる岩」のある「ハチャママ神殿」横のゲートにある管理棟で
入場料(登山料)45ドル1日の入場者400人まで(入場は午後3時まで)

でしたが現在2016年では1日の入場者数は2,500人に増やしたようです)

 2.「墓場」

この付近は「墓場」と言われている場所です。173体もの人骨が出てきたのでそう呼ばれています。

墓地と言われている付近で写真撮影と休憩
このあたりが墓と言われるところだそうです。  173体もの人骨が出てきたのでそう言われています

 2・「墓場」の位置
座標下図の「A・1

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マチュピチュ遠望

遠くに6千m級の雪山が
一人参加の若い女性Kさんは崖の淵まで行って盛んにシャッターを切っていました「危ないよ〜」

では市街地へ下りましょう

少し下ると「23、太陽の神殿陵墓」の真上に差し掛かります
画面中央やや下に太陽神殿があります。太陽神殿はマチュピチュで唯一弓形(半円形)を描く建造物です。

 23.「太陽の神殿 陵墓」

落ち着いて見ると遺跡の中には大勢いることに気づきました。 次は早くあそこへ行きたい!
画面の中央あたりのカーブした石壁の中が「太陽の神殿」です
画面中央に23.「太陽の神殿陵墓」
(後ほど詳しく掲載します)
 この時しっかりと全体の位置関係を頭に入れなかっため、現場へ行った時はどこを歩いているかさっぱりでした。
あとからこの写真を見て、ここだったのか!
(太陽の神殿の手前の階段で下ったところが「18、聖職者の水汲み場」「19、聖職者の居住区」です)

 23・「太陽の神殿陵墓」の位置
座標下図の「B・2

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「見張り小屋」

先ほどの「3、見張り小屋」下まで降りてきました。
屋根の造りが良く分かります。

山腹のインカ道と峠の「太陽の門」
振り返るとマチュピチュ山の中腹にインカ道が見えます。
インカ道の先に「太陽の門」と呼ばれるマチュピチュのゲートがあります。

 インカ道の峠の「太陽の門」

後ろの山腹に走る道はインカ全国に通うじるインカ道です
この道をインカの駅逓が皇帝の命令書を持って全国へ走ったとされています。
画面のインカ道の先に見える峠(稜線が谷になった場所)が「ゲート」(下の画像参照)と言われる、ゲートだったそうです。
画面の右の方へ進みマチュピチュを通り過ぎた先に「インカの橋」がありインカの国の隅々まで通じていたそうです。

今回行けなかった「太陽の門」「インカの橋」

「太陽の門」
マチュピチュ遺跡から40分
(マチュピチュから近いので混んでる)

「インカ橋」
マチュピチュ遺跡から30分
(橋を渡った先は行き止まりだそうです)

 画像は「http://memubers.jcom.home.ne.jp/tabibito4」氏の「インティライミとインカの遺跡を訪ねて」からお借りしました。

峠のインカ道「太陽の門

インカ橋への行き方(インカの橋へ行ったことのある人のメモです)

 インティ・プンクへと続く道の途中、「マチュピチュ山→」という矢印が石に書かれています。
 そこを上に登って行ってください。
 少し(1〜2分)坂道を登ると右に曲がり、遺跡の見張り小屋を確認したら、左方向を目指してください。
 マチュピチュ山の裏側のほうへ行く道に辿り着くことでしょう。
 それがインカの橋への道となります。

参考  3泊4日インカ道トレッキングルート

先ほどのクスコからの鉄道の途中駅「Km88」で下車して3泊4日のトレッキングコースです。
その道のがマチュピチュへ入る手前の峠にあるのが「太陽の門」です。
マチュピチュに近い「Km104」駅からは1日コースです

インカ道
道はマチュピチュまで続きます

石畳で山道でも早く走れるようにして皇帝の命令(情報)を早く伝えました

インカ道は急な坂道は石段が整備されています。

休憩

   一服しながらガイドの説明を聞く
 ガイドの説明は別に特別な話はありません。
 また、ガイドは最初に「この石はどこから持ってきたのか?」「なぜこんな山の上に都市を創ったのか」「水はどこから流れてくるのか」などの質問はしないことと釘をさすので山を下っても、日本から持ってきた疑問は一つも解けませんした。
 なお、ガイドのイルテさんは日本の大学を出て日本で暮らしたこともあるそうです。
 日本へ帰ってきてから気がつきましたが、日本の何処の大学か日本の何処に住んでいたかなど聞くのを忘れていました。

いよいよマチュピチュの市街地へ

いよいよ居住区近くへ降りてきました

 5・「太陽の門」
市街地への入り口

居住地区へ入る門「太陽の門」
マチュピチュへはこの門からしか入ることができません

5・「太陽の門」の位置
座標下図の「B・2

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マチュピチュの北側は急峻な崖です
下に河が流れているのが見えます

下に流れる川は「ウルバンバ川」です。

川の下流に水力発電所が見えます。

水力発電所
画面右上方に細く白い線が2本見えますが、これは水力発電所の水圧鉄管です。
(職業柄=電力会社勤務=直ぐに目に飛び込みました。)

柵もありません
標高が高く空気が薄いためいか、カメラで覗くとふらりと谷へ吸い込まれそうになります。

階段は慎重に下ります

空気が薄く、直射日光も強い(画面の正面が町の入り口ガイドNo。4.「太陽の門」です。)

屋根を結ぶホゾ、下のクボミは桁受け等、造りがよく分かります

やっと居住地区の平らな場所へ降りてきました。

しまったー
見張り小屋の近くを通ったのに見張り小屋からのマチュピチュとワイナピチュ写真を撮りませんでした

見張り小屋 
振り返って見ると見張り小屋がありました(あの場所からの写真を撮り損ねました)

・「見張り小屋」の位置
座標下図の「A・2

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ここは8.「主神殿跡」です。ここから11.「インティワタナ(日時計)」を見上げています。

 9・「主神殿」跡 

あの高いところに「10.日時計」=(インティワタナ)があるはずです

「10.大広場」は立ち入り禁止
広場にはリャマが飼われて居ます。 広場にはリャマと草刈の人達だけです。

10・「大広場」の位置
座標下図の「E・3

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居住区から見た段々畑と通称「見張り小屋」

9・「主神殿」の位置
座標下図の「A・2

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 6・「石切り場」

石切り場跡
ここからこの遺跡の石は調達されたようです。

6・「石切り場」の位置
座標下図の「C・2

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歴史的に急いで造ったのか此のあたりの「石組」は粗雑でインカらしくないと感じました。

 10.「三つの 窓の神殿」

三つの窓の神殿(儀式の奥にある石の壁)と手前の大台石
 神殿ゾーンにある神殿のひとつです。三方面を石で囲まれており、 
この三という数字はインカの発祥ともいえるマンコカパックを含む四組の夫婦がでてきた3つの洞穴を表しているという説もあります

(手前の大きな石の説明)
この岩の用途については、捧げ物を置いたという説があります。
人間や動物が生け贄として神に捧げられたのではないかという説です。
また、死体を防腐させたのではないかという説もあります。
そのため、「葬儀の石」と呼ばれることもあります。

三つの窓の謎
三つの窓は何故か窓は五つありますが両端の窓は石で塞がれています。

クスコの街の石組みと違ってマチュピチュの石組みは粗雑です

9.主神殿広場と     
10。「三つの窓の神殿」の位置
座標下図の「D・2

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 9・「主神殿」広場

                      主神殿
 神聖な広場で一番重要と呼ばれている神殿です。 が、びっくりしました重要な神殿がが崩れかかているのです。
インカの石組技術
 インカの石組みで有名なのはクスコの町中にある12角の石などの複雑な石組みですが出来る技術があります。
 神殿などの重要な場所の石はつるつるとした四角形の石が使われることになっていますが真四角では地震の時すぐにずれて崩れます。
 インカの石組みは、耐震のために複雑な入り組んだものを作ったと思われクスコで一番重要な神殿であったコリカンチャ神殿石組みも
 四角形でシンプルな石組みを見ても表から見るとただの四角形の石に見えますが、実は後ろ側はコの字形になっていて、ガッシリと組み  合わさっています。
崩れかかてる理由
 これらのことから推察すると、マチュピチュ全体が急いで造られた都で住居などは丸石に近い石を積み、神殿などは四角にしたものの裏側で組み合わせる複雑な形にしなかったためと考えられます。

↑「主神殿」は右側が崩れています。ガイドさんの話だと、マチュピチュ建設終盤に主神殿が崩れた不吉さを嫌って、皇帝がマチュピチュの廃棄を命じたのではないかと言っていました。
 スペインに征服された際に、他のインカの遺跡は何がしかの破壊が行われていることから、ここが破壊されなかったのはすでに廃墟だったからと言う説には合点がいきます。

主神殿は10.「三つの窓の神殿」の北側にあります。

「エコーの部屋」にある精巧なつくりの飾り棚です。
 この反対側で飾り棚に向かって発声すると反対側の飾り棚できちんと声が聞こえました。 石の隙間の空気振動でをきちんと伝わるように作っているとのこと。すごい技術ですね。

9.主神殿の位置
座標下図の「D・2

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「主神殿」から「インティワタナ」へ向います。

登る道は急で柵も無く危険です

途中赤い花が一株咲いていました

 初耳「マチュピチュ山」 

マチュピチュ山(標高3,050m
登山時間は往路の登り1時間20分、復路下り50分だそうです。

マチュピチュ山(標高3,050m
現地でガイドに説明されるまで後ろの山が「マチュピチュ山」とは知りませんでした。

(場所の説明)「インティワタナ」(日時計)から振り返ると
高い所に「マチュピチュ山」がそびえます。
(マチュピチュ山があるなんて初めて知りました!)
その下には4.「見張り小屋」その下のは22.「段々畑」が続き、手前には6.「石切り場」が見えます。

インティワタナ
からはマチュピチュ山山腹のインカ道や見張り小屋や石切り場などがよく分かります

 11・「インティワタナ」(日時計) 

                  インティワタナ
 インティワタナとは原住民の言葉で、インティ ( 太陽 )、ワタナ( つなぐもの ) という意味だそうです。
 インティワタナはマチュピチュの遺跡の中で一番高い場所にあることから、この石が太陽信仰を表しているといわれています。
 角のように大きく突き出した部分の土台は菱形になっており、その四角は東西南北を指しています
 そのことから、インティワタナを日時計だという説もあります。

高さ1.8mの花崗岩製で日時計?
丁度行った日が冬至(6/24)数日前の12時数分前 しかしどこが日時計なのか不明?

↑日時計の一番大事なとんがった部分が実は欠けて修理されています。ガイドさんの話ですと、ペルーで一番人気のビール「クスケーナ」のCM撮影時に、撮影クレーンが倒れて欠けたそうです。笑っちゃうようなお話ですね。

「インティワタナ」の位置
座標下図の「D・2

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下の広場へ下ります

インカの人たちは日常この危険な環境で暮らしていたのでしょうか?

インカでわらびを見つけた

雑草の中にワラビが
しかし同行の全員は何の関心も無し!

ワイナピチュへの登山ゲート

下の広場へ下りると全員休憩
左奥の藁葺屋根の家の奥がワイナピチュへ登る入場口です

見事な石積みの下を圧倒されながら歩きます

 12・「聖なる岩 

バチャママの神殿と「聖なる岩」
聖なる岩の向こうの山と同じ形をしています。
聖なる岩の左右の建物は「ワイナラ」と呼ばれ祭りの準備室と言われています。

マチュピチュ遺跡の入口から一番遠いところにある神殿

この「ワイラナ」は屋根もベンチもあることから、観光客の格好の休憩所になっています。

「聖なる岩」の位置
座標下図の「E・3

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ワイナピチュ
(標高2750m)

ワイナピチュの頂上に見える遺跡まで
健脚で往復2時間

 

13・ワイナピチュ(標高2750m)の
登山ゲート

対岸のワイナピチュへの登山ゲート
自然保護と安全確保のため1日に400人の制限があるそうです。
(2016年現在調べたら今は1日2.500人まで入場できるそうです。手摺等が整備された為です)

入場料(登山料?)は45ドルを払うと急峻な尾根道を登れます。

 マチュピチュの標高は2375m、ワイナピチュの頂上は約2600メートルなので標高差200mの急峻な尾根の岩場を登ります。  時間的には片道40分〜60分程度、往復約2時間だそうです。
  小屋の受付で自分の名前と入場時間を書き入場します。入場できるのは午後3時までです。
 岩場に張られたロープを使って登ります。 ワイナピチュの頂上もちょっとした遺跡になっているそうです。

「ワイナピチュの登山ゲート」の位置
座標下図の「F・3

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以下の画像はいつだったかのテレビ画像を収録したものです

登山道は殆ど垂直に近い

鎖やワイヤーが設置してあって安全対策は充分

ワイナピチュから見下ろすマチュピチュ

ワイナピチュに登る日本人は最近多いそうです。(体力と時間とお金が出来たのでしょう)

我々(神風ツアー)は駆け足で遺跡内を見て帰路に着きます。

急げ!
我々は15:00発クスコ行きの列車にに乗らなければ!
今12時10分、あと「石臼のある家」・「コンドルの神殿と牢獄」・「コンドルの庭」・「水飲み場」など見なければ!

 

段々畑からの「市街地への入り口」

(「太陽の門」とは違う入り口です)

ワイナピチュ近くの住居跡のゲートだったと思われます

段々畑から「市街地への入り口」の位置
座標下図の「B・3

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 X・「儀式の石」? 

儀式の石
儀式の石といわれていますが、実際に儀式に使っていたかどうかはわかっていません。 

屋根を止める工夫の石

インカの時代にモルタルがあったのか? それとも最近補修したのか??

ここからも見張り小屋がよく見えます

これは何だろうか?? 突然目の前に現れた不思議建造物
左の方に「見張り小屋」が見え、手前が「大広場」、大勢の見物人が居るので見物ポイントと思われるが?
ガイドとはぐれて一人で走り回って居るので焦ります。

あちらの方へ行きたいが写真を撮っているため一行から遅れてしまったので行く時間がない!

合成してみるとその大きさが分かる。  がなんだか分からない

疑問箇所の位置は「D・3」辺りか?

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もう今どこ辺りに居るのか分からなくなった!

 14・「三つの入り口のある家」
貴族の居住区 

多分貴族の居住区あたりをうろうろしたと思われる。

珍しい2階建ての構造だそうです。

位置が分からなくなった!
遺跡がありそうな対岸の「ブトゥクシ山」の位置からすると今どこに居るのか?

屋根を支える構造が良く分かります

屋根のわらを抑えるための丸太を縛り付けるための丸石と丸太が下へずれないようにする止め石

「見張り小屋」はランドマーク
どこへ来ても見張り小屋が見えるので、どの辺りに居るかが分かるはずですが?

16・「技術者の居住区」まで来てしまったようです。

 17・「石臼」 

「技術者の居住区」にある「17.石臼」のある家まで来たようです。

技術者の居住区にある家の「石臼」
人々が居住していたところにある石臼です。  この石臼は何に使われていたのか不明だそうです。
もっと数があっても良さそうなのですが、なぜかマチュピチュ内に二つしかありません。
建物の内側に石が突き出している不思議
1912年からはじまった修復作業で間違って外へ出す石を内側へ付けた?のではないかとも言われています
マチュピチュの建物はワラをかぶせる丸太を止めるために、外側に突き出た石があります)

石臼についての諸説
1..石臼ではなく柱の土台だった
2.石臼に水を貯めて、鏡として使っていた。
3.石臼を神事に使っていた

17.「石臼」の位置
座標下図の「C・4

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グループの仲間も飽きてきたのかどんどん足が速くなる 写真に収める時間も少なくなる!

ウルバンバ川の見下ろすと帰りの列車が待っている

一枚岩で造った階段

 もう石積みは見飽きた感じ 仲間の足が一段と速くなります。

 18・「コンドルの神殿と牢獄」 

コンドルの神殿と牢獄
手前がコンドルの頭、後ろの大きな岩が羽を広げた形半地下の部分が牢獄、入り口は人が並んでいるところ

  コンドルの神殿は神聖な儀式が行われた場所ではないかといわれています。 
 またコンドルの石の奥の部分からミイラがでてきたことからマチュピチュを世界に発表したハイラム・ビンガムはこの場所を牢屋だったと 分析しました。 
  柵に囲まれた部分に生贄をささげて儀式をしたといわれ、コンドルのくちばしの部分の石に生贄の血をたらしたとか、チッチャ(トウモロ コシから作るお酒 ) を供えたと言われています。 
  コンドルの神殿の奥の底の部分は斜めになっており、その部分には犯罪者をつなぎとめる綱を結ぶためにあったといわれています。

牢獄の入り口
時間がないので順番を待って中を覗くのを止めたが今思うと残念

「コンドルの神殿と牢獄」の位置
座標下図の「C・3

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ランドマークの見張り小屋
最後はあそこの地点まで登らなくてはインカ道へ出て帰られません

4.「見張り小屋」22.「段々畑」
 21.
「農地管理人の居住跡」 

 「農地管理人の居住跡」
段々畑の下段(南側)には草葺きの小屋が5棟建っています。
『完全ガイド』では貯蔵庫と説明されています。

アンデネス(段々畑)と建物
この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっているそうです。
遺跡の面積は約13km2で、石の建物の総数は約200戸が数えられるそうです。

北に面した畑(北半球の日本と違い北が日当たりのいい方)
この畑でマチュピチュの人たちは食料を確保していたのです
この畑ではジャガイモ、トウモロコシ、ユカ、キノア、コカなどのアンデス原産の農作物が栽培されていました。

大分くたびれてきた!皆よく歩けるな!感心しました。

22.「段々畑」の位置
下図の「A・3

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24.「女王の宮殿」27.「女王の水浴場」
 25.
17の水汲み場」群方向をを見る 

「17の水汲み場」
斜め右上へ上がる石段沿いに17の水汲み場あります。
見物を始めて2時間

10時半に入場口を入ってちょうど2時間、昼食も忘れてここまで来ましたが仲間も疲れた様子

水汲み場は「女王の宮殿」の横あたりから下流へ各階級により使用する場所が決められていたようです。

あと少しガンバルぞ!

水飲み場は全部で17ヶ所あります

                       水汲み場
 マチュピチュはウルバンバ川から400mも登ったところになぜ造ったかというと、ここには最初から水が沸いてくる場所があったからなのではないでしょうか。
 街を造るときどこからか水を引いてきたと思うと疑問が沸いてきますが、最初か水が出いたところに都市を造った! 
 この水はマチュピチュの正面にあるワイナピチュから流れてくる水といわれています。 
 このように絶えず水が流れてくるのは非常に不思議に感じます。 
 水汲み場は10以上あり、(17という説明書もあります)、上の水ほど高貴な人が使っていたと言われています。

25.17の水汲み場27.「女王の水浴場」の位置
座標下図の「C・3

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 23・太陽の神殿」 

太陽の神殿
自然石の上に建てられた「太陽の神殿」 下は陵墓、不思議な取り合わせです

                       塔とも呼ばれています
 中には入ることができませんが、美しい曲線を石で表現するというインカの石組みの技術を見ることができます この下には陵墓と呼ばれるミイラを安置していたのではないかという場所があり、 歴代の王のミイラがまるで生きているときのように扱われていたといわれています。
 インカの歴代の王のミイラは政治にも影響を及ぼした上、 このミイラの維持費が莫大にかかるためインカ帝国は頭を悩ましたといわれてます。

 

太陽の神殿の横へ回ってみましたが構造がよく分かりません

太陽の神殿と神官が祀りを行う想像図

「太陽の神殿」の位置
座標下図の「C・3

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マチュピチュ見物を始めてから2時間10分階段の登り下りで疲れてきました。

仲間も帰ることに決めたようでどんどん下ります

こうして振り返るとまだまだ見てないところが沢山ありました。残念ですが仕方ない!帰ることにしました

もう2度と来ることのない、もう二度と見ることのできない景色をカメラに収めました。

 出口のゲート 

畑の中の道を歩くと出口のゲートが見えてきます。

ゲート脇に2枚の銘盤が埋め込まれています

       マチュピチュ世界遺産指定
 1993年10月にペルーで最初にクスコと同時にユネスコの世界遺産に指定された

    マチュピチュ発見者ハイラム・ビンガム
 イェール大学ペルー探検隊を組織して、ペルーへ入る。そして1911年7月24日、マチュ・ピチュを発見。

最後にもう一度空中都市マチュピチュを振り帰り目に焼き付けました。

夕暮れのマチュピチュ

 マチュピチュ遺跡入場ゲート」 

 マチュピチュ遺跡入場ゲートにあるマチュピチュ・サンクチュアリー・ロッジは温泉プールもあるかなり高級ホテルです。

バスに乗って13折れの道を下って麓のアグアス・カリエンテス駅へ

グッバイ・ボーイ
 マチュピチュから麓のアグアス・カリエンテスに下るバスでいきなり乗車して「 グッバイー 」と大きな声で叫び、それから下車し、
バスがくねくねと折り返しながらアグアスカリエンテスまで下る途中道端で、「グッバイー」と叫び、次の折り返した道の途中でも手を振る
最初は気が付きませんが最後は車内全員が車内から手を振り返すようになりました。                             
最後にグアスカリエンテスに着いあとバスに乗り込んできて「グッバイー」と叫び、チップをもらう少年たちのこと。          
マチュピチュ名物だったのですが、 最近は村長がかわり、学校にもいかず働くのはよくないという理由で現在は禁止されているようです。

画面はかってのマチュピチュ村の画像に戻ります

 「ブエンテ・ルイナス駅」 

当時は線路脇に家が立ち並び食堂等が並んでいました
プラットホームは1mほどの段差があるだけでした。
帰路の列車が出るまでに昼食と買い物

駅の片側はお土産屋

駅の上の広場にテントの売店が人気があります
マフラー5枚で45ドル(1枚=900円 大変お値打ちでした)

   ウルバンバ駅で退避停車

マチュピチュ駅からクスコへ戻ります
(上のタイトル画像のバック画像は途中の停車駅の画像で
マチュピチュ駅の画像ではありません)

 車内でフアションショー・サービス 

列車が出発してしばらくすると気味の悪い祭りの衣装からショーの始まりです

帰りは登り坂が続くので30分多く4時間かかります。
長い時間を退屈させないよう2人のガイドさんによる車内ファッションショーが行われました。

揺れる列車での一生懸命さに応えてショールを買いました(95ドル=1万円)

ショーを見ているうちに外も暗くなり「ポロイ駅」で待機停車

ポロイ駅でタクシー停車

ここで急いでクスコの町へ帰る人(お金のある人)は下車してタクシーでクスコへ

単線のため待機停車かと思いましたがすれ違う列車は来ませんでした。

 「クスコの夜景」 

クスコの夜景が綺麗でしたが
夜景が楽しめるよう車内灯は消してくれます。クスコヘは予定通り19:00に着きました

19:20頃ホテルへ帰り、着替えをしてレストランへ出発は19:40

 「サンペデロ駅」広場到着 

治安が悪いので短い距離でも移動はバスで

クスコへ到着

天空の世界から現実の世界へ
警備員(服装は用心棒風)が予約客の両側をガードします

内部の装飾も音楽もスペイン風(インカ風ではない)で出迎えてくれました

アンデス音楽を聞きながら演奏と踊りのディナー

インカの踊りが始まりました

最初はスペイン風と感じましたが、これがインカ文化だと気づきました

料理はジャガイモとトマトが主流の料理でした

音楽と踊りで今日の疲れも癒されました

クスコで有名なビール「クスケーニャ」

約3時間の食事でした
デザートのアイスクリーム

三日目は早朝4時から就寝23時まで19時間の強行軍のマチュピチュ見物が終了しました。
明日、4日目は「クスコ」からチチカカ湖のある「プーノ」

          

このHPはmoriy@シルバーが旅行した当時の記録です。
その後、現地の状況などが変わっています。
旅行の参考にしてくださる時は他の方法でも確認して、お出かけ下さい。